今回ご紹介する配信映画はペトラ・コスタ監督のドキュメンタリー『熱帯の黙示録』(2025年7月14日からNETFLIXで配信)です。1年前の配信作品ですが、今年2026年10月に行われるブラジル大統領選挙に向けて、いま観るべき1本としてセレクトしました。
ペトラ・コスタ監督の前作『ブラジル ー消えゆく民主主義ー』(2019年/NETFLIX)では、1985年にブラジルが軍事政権から民主化するも、景気低迷を背景にリベラルな左派路線が2016年の政変(ジルマ・ルセフ大統領が弾劾され失職する一連の出来事)で転覆、そこから右派ポピュリズムへと突き進み、せっかく手に入れたブラジル民主主義が崩壊していく様子を映した作品でした。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされたこちらも良作ですのでぜひこの作品も併せてご覧いただければと思います。
ブラジルのキリスト教福音派
さて、前作からその後のブラジル政治や民主主義を追ったのが本作『熱帯の黙示録』です。ブラジルの政治が絶大な影響力をもつキリスト教福音派の指導者たちによって動かされ、国民が左右に分断され、人々の信仰心が政治利用される有り様が描かれています。
キリスト教福音派の影響力といえばすぐアメリカのことが思い出されますが、ブラジルでもその影響力はいまや無視できないものとなっているようです。宗教とは無縁で育ったコスタ監督も撮影をおこなうまで福音派のことをよく知らなかったといいますからある意味、監督の目線は多くのブラジル人よりも無宗教が多いわたしたち日本人に近いかもしれません。そしてその彼女の目線で追った福音派の勢いがとにかくすごいんです。
「この40年間で福音派の信者は国民の5%から30%以上にまで増えました。人類史上最も急速な宗教改革が起こっている」
アメリカのキリスト教福音派は全人口の約25%と言われていますが、ブラジルはそれよりもさらに多い30%。しかもこの40年間で5%から30%へと、その拡大スピードにも驚かされます。
ブラジルは16世紀からのポルトガルによる植民地支配の影響から、カトリックが人口の9割以上を占めていましたが、プロテスタントの福音派がなぜそんなに急激に増えていったのか。その理由は、国や行政の支援が行き届かない貧困地域で福音派の教会や牧師たちが医療や教育、福祉を担い、人々の暮らしを支える活動を長年熱心におこなってきたことで、多くの人たちが福音派に改宗したということのようです。そうした奉仕活動自体は本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、無視できないのがその宗教的な立場を利用して政治権力を握ろうとする一部の教会指導者たちの存在です。この映画の主役でもあるシラス・マラファイア牧師もそのひとり。以前は左派のルーラ現大統領の支持者だったそうですが、仲違いし、その後は右派政治家を支持するように。マラファイアは義父の教会を継ぎましたが、牧師のイメージとはかけ離れた野心家で、自身の出版会社を立ち上げ、教会を拡大させていきました。
「地元の牧師にならないと誓った。この教会を国家レベルにする」
「だから教会の哲学と精神性を変えた。国家レベルの教会にするために」
「私が牧師になった時の会員数は1万5000人。10年ほど前のことだ。今では10万人以上いる」
「英語に吹き替えた私の番組が120カ国で放送された」
当初、テレビ通販で聖書を売っていた頃の映像ではマラファイアにも穏やかで誠実そうなセールスマン的な雰囲気がありました。それがブラジルの経済成長とともに成長志向の中流階級の信者を獲得していくとたちまち教会は急成長し、マラファイアは一躍メディアの有力者、影響力のあるインフルエンサーとなります。映像に映る数年後のマラファイアの表情は険しく、発言も一変して、非常に攻撃的に変わっていました。そして福音派のメガチャーチ指導者となったマラファイアはジャイル・ボルソナロ前大統領(任期:2019年~2023年)の熱烈な支持者として、右派勢力をまとめブラジル政治を動かす、まさにキングメーカーという存在になっていきました。
映画のなかで印象的だったものの一つが、ボルソナロとマラファイア牧師との関係です。ボルソナロは、自分が大統領に当選したら武器を持ち放題になる、クズには暴力で対抗すると公言するような人物です。女性蔑視など多くの差別的発言や過激な暴言を度々繰り返し、新型コロナ(COVID-19)を「ただの風邪」と呼んで対策を軽視したことは日本でも広く報じられ、アメリカに次いで世界で2番目に多い死者を出しました。そんなブラジルのトランプとも評されたボルソナロが大統領選に勝利したまさに絶頂時にもかかわらず、マラファイアの前ではまるで借りてきた猫のようにおとなしい姿だったのにはちょっと驚きました。トランプ米大統領よりも過激な発言をするあのボルソナロが、です。両者の力関係がハッキリみてとれるシーンは必見です。
終末論、フェイク、暴徒化
タイトルにもある「黙示録」は、新約聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」のこと。キリスト教福音派にとっては、歴史の終末とキリストの再臨を告げ、世の不条理の中で信仰を守る信徒への「究極の勝利の約束(福音)」がもたらされる預言の書です。神が悪に勝利をする未来像が描かれていると考えられていますが、アメリカと同様その終末思想がブラジルでも政治利用され分断に拍車をかけていきます。
自分たちに従わない者、対立する勢力はその条件一点だけで「反キリスト」にされてしまいます。対立勢力は「黙示録」に出てくる悪の存在であり、サタンであり、地上の人間から平和を奪い、世界に災いや死をもたらします。自分たちの利益に反し、意に沿わない発言をすれば裁判所の判事たちですら犯罪者呼ばわりされます。マラファイアたちにとっての敵対勢力=神に背く存在です。神が絶対というだけならまだしも、マラファイアは根拠なく勝手に神の意思を代弁する立ち位置にいるのです。こんな身勝手な方便がなぜ通用してしまうのか。
覚えておけ。我々は国民の30%を占めているからな。
マラファイアの強烈な脅し文句。ボルソナロも大人しくなるよね。でも、数の力=民主主義でいいの? そして、こんな理不尽な言いがかりや数の暴力を超えて、この分断をどう回避し対処すればよいのでしょうか。
また、もっと今どきな話としては、ブラジル国民はSNSのフェイクニュースにも踊らされます。対立候補をおとしめる意図的なデマ、偽情報によって混乱させられ何が真実かがわからなくなります。
アメリカでも「トランプはディープステート(闇の政府)からアメリカを救う英雄」というQアノンの陰謀論がありましたが、ブラジルでもブラジル労働者党(PT)は「闇の政党」であり、「ブラジルを共産主義化・独裁化しようとしている」とSNSで拡散されるなど、共産主義化への恐怖心を煽る陰謀論が拡散されます。また、選挙での電子投票システムについても巨大な陰謀があると、こちらもSNSで爆発的に広まっていきます。
「闇の開票不正」を信じた過激な支持者たちは、2023年1月に首都ブラジリアで連邦議会や最高裁判所を襲撃する暴動事件(ブラジル三権襲撃事件)を引き起こしました。2021年に起こったトランプ支持者らによるアメリカの議会議事堂襲撃事件とまったく同じように暴徒化していったのです。
こんなに書いてネタバレしすぎじゃないかっ!と怒られるかもしれませんね。でも大丈夫です。映画はもっと多くの内容を含んでいますし、なにより一つ一つの中身が強烈です。ホントにびっくりさせられることだらけです。
そして、最初にも書きましたが2026年10月のブラジル大統領選がどうなるのか興味は尽きません。日本も含め世界中で、民主主義の危機が叫ばれて久しい今日この頃です。民主主義という政治システムだけでなく、なにより人々が分断される状況をどう繋ぎ止め、お互いの関係を修復していくのか。いろんなことを考えさせられます。ぜひ映画を観て、ブラジルの民主主義の行方にも注目してほしいです。おすすめします。


