山秋 真
「どんぶらこ取材こぼれ話」の第79回を書いてから、いつしか1年ほどが過ぎておりました。この間、わたしは次の本『潮目を生きる』の準備に地道にいそしんでいます。
当初2026年8月だった刊行予定は、祝島の複数の方からのご希望を受け、「できるだけ早期」を目指すこととなりました。26年の「3〜4月には」、「やはり5月になる」と二転三転しながら、最新の状況では「5月末〜6月」の見込みとなっています。
迷いに迷った副題も、「祝島をめぐる海、原発、海賊」に先月ようやく決まりました。実際に刊行に至るまでには、まだ大なり小なり山があることでしょう。それでも最後の大きな山は越えた感触です。そのような次第で今月、この連載をお陰さまで再開する運びとなりました。
いざ書こうとすると戸惑いが先立ちます。浦島太郎になったような気分でした。書きたいことは多くあっても、まっさきに書くべきは何でしょうか。思案してのち、心が定まりました。
祝島(いわいしま)の最後の船大工にして、瀬戸内海のかつての大海賊・能島(のしま)村上氏の造船術を受け継ぐ末裔と信じてやまない新庄(しんしょう)さんを偲び、ここに追悼文をしたためます。
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2月19日の正午すぎ、新庄和幸さんご逝去の報に接し、にわかには信じられない思いで二の句がつげず、いまもまだ信じたくない気持ちです。
24年8月の祝島の「神舞(かんまい)」神事のあと、ご体調を崩されてお仕事を辞めたことは伺っていました。それでも、25年12月に祝島でお会いすると、さすがに御身やお声は細くなられていたものの、機微に聡い話力は健在。随所に気概も見られ、わたしは内心ちいさく安堵の息をつきました。
久しぶりの歓談を楽しみつつ、棟梁が新造した「祗園舟(ぎおんぶね)」神事(神奈川県横浜市)の祭礼舟の話を次の本の「序」と「6章」にしたいと思っていることを伝えて、ご芳名やお写真類の掲載についてご快諾いただいたのです。「なるべく早い刊行を目指して頑張っているので、今しばし待っていてくださいね」とも言い添えて。
「あしたも顔を見せんさいよ」と言っていただき、翌日も訪ねました。そこに一通の封書が届きます。棟梁が封をあけると、海を渡る神事「神舞」を祝島とともに千年を越えて受けつぐ、大分県は国東(くにさき)半島にある伊美(いみ)別宮社の宮司さんからでした。
「船大工仕事の終止並びに作業小屋の仕舞に関する最後の祭」を別宮社の神前でおこなったという通知と、長きにわたる船大工仕事への慰労の言葉が記されています。棟梁が別宮社へご依頼になったそうで、一読なさると視線を上げ、ようやく肩の荷を下(お)ろしたような表情を見せました。
棟梁の作業小屋はシンショーゴヤと通称され、船大工の仕事場であると同時に、島人のたまり場でもありました。手が適(かな)う人の多い祝島でも格別の腕揃いで、なにかに困ると応援をもとめて姿を見せる人が多く、必然的に社交場のごとき存在感まで漂って。祝島の機動力の要と言っても過言ではなかったと思います。
けれど棟梁が仕事を止めて小屋の整理をすすめると、さしもの新庄小屋も解体の危機に瀕したと聞きました。致し方ないことかもしれません。棟梁の若かりし頃には島内に3軒、10年ほど前でも2軒あった船大工が、遂にゼロ軒となるのですから。
それでも、やはり新庄小屋のない祝島は考えられないと、家具大工や家大工をふくむ有志4人が共同で借りることになったとか。そのひとりで10年ほど前に島へ移り住んだ若手の家具大工は「なかなかいい手つきをしちょる」と、祝島の最後の船大工から伺いました。解かれることなく同じ場所に建つ小屋で、きっと腕を磨いていくことでしょう。
それからわずか2ヶ月ばかり。棟梁は逝ってしまわれました。いのちの砂時計は待ったが効きません。本の刊行は間に合いませんでした。非力な我が身が情けなく、しばらく茫然自失です。陽が落ちてひとりになれば、いつしか涙も溢れる始末。ただ、泣いているだけではダメだと頭では分かっています。
ご葬儀の日、遠方から駆けつける代わりに自室でパソコンに向かいました。棟梁の和船づくりの映像を、少しずつでも、まとめていくためです。
1996年に世界遺産に登録された厳島(いつくしま)神社(広島県廿日市市)の、最大の神事「管絃祭(かんげんさい)」の舟を棟梁が祝島で新造した際、一連の重要な工程を約2か月にわたり撮影させていただいていました。以来、その映像をいずれキチンとまとめたいと願いつつ力不足で叶わず、さらに棟梁ご自身も「恥ずかしいからワシが他界してからにせえ」と仰せで、まとめられずにきたのです。
それでも、棟梁がお仕事を引退なさると伺ったとき、「管絃祭の舟づくりの映像を、まとめられてなくて気になっています。頑張ってまとめますので、長生きしてください」と申しあげると、「長生き、できるかなぁ」と弱気な素ぶりながらも、映像記録を残すことに前向きなご様子でした。
棟梁の「魔法の手」で見せてくださった数多(あまた)なる匠の技。棟梁そして新庄小屋の皆さんに教えていただいた祝島をめぐるたくさんのお話。皆さんが海とともに生き培い受け継いでらした、そうした叡智の一端を、遠くから通う身に語って見せていただいた縁の妙。あらためていま身に沁みて感じています。

棟梁・新庄和幸さん © 山秋真
ご恩がえしには遅すぎました。せめて、わたしなりに言葉や映像をもって、それを未来へ手渡すあゆみに倣うことで、ご恩送りとしていかれたら。切にそう願うところです。
新庄さん、これまで本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

【動画】祝島の舟おろし 2016年5月11日
山秋 真
『地球号の危機ニュースレター』
No.542(2026年4月号)


