「地球号の危機ニュースレター」542号(2026年4月号)を発行しました。

里山資源利活用税を考える①

日本で初めての市民共同発電所「ひむか1号」

日本で初めての市民共同発電所「ひむか1号」© 中川修治

中川 修治

 東京一極集中が再び加速化し、地方からはヒト・モノ・カネに加えて再生可能エネルギーまでもが中央に吸い上げられている。地方自治体の財源もかつてない窮地に立たされているなかで、地方税制はどうあるべきか。里山資源利活用税構想について唱えておられるNPO法人「市民ソーラー・宮崎」理事長の中川修治さんにお話を伺ってまいります。


 なお、本稿は『首長マガジン』第4号<2024年6月発行>掲載文より一部加筆して掲載しております。『首長マガジン』は、全国の自治体の首長に向けて出されている無料配布誌です。先進的取り組みを行なってる自治体の首長さんに直接インタビュー、共有化してもらおうと創刊されたですが一般には販売はされていません。記事については、インタビューされた方の了解があれば転載可能ということで今回ご紹介させていただくことにしました。

異様な国家形態となった歴史的背景

― まずは、現在の日本の社会構造の中で、地方自治体が置かれている現状からお話ください。

中川修治(以下「中川」) エネルギー問題を辿っていくと、私たちの社会にとって明治維新が大きな転機でした。それ以前の社会は、基本的に地方が生産力を持っていたんです。植物によって変換された太陽エネルギー=バイオマスエネルギーがベースになって動いてきました。そうした生産力があったが故に、農耕社会で中央集権的なピラミッド構造のトップに立っていた江戸幕府は、参勤交代をさせながら地方の生産力を消費させて300年間平和な時代を築いてきた。

 そこに、黒船=蒸気船(上喜撰)が4杯やってきて夜も眠れずという化石燃料で動く蒸気船の出現によって社会が大きく変わったわけです。

 植民地を増やす西欧列強の世界支配の流れの中で、外敵に対抗するために天皇制をもう1回引っ張り出す明治維新=産業革命を起こして新たに大日本帝国をつくらざるを得なかった。これは地方が生み出すエネルギーを吸い上げてつくったのではなく、2億年分ぐらいの太陽エネルギーをストックした化石燃料を地球からごっそりと持って来てベースにしたんです。

 その結果、私たちの近代国家は、第一次産業がなくても第二次産業から上だけで成り立つ異様な国家形態となりました。それは第一次産業をベースに置く地方が相対的に価値を生み出さなくなったということです。

 ただ、労働力や資本などは必要なので、ヒト、モノ、カネは田舎から大きな資本力のある都会に全部動員されていきます。今日は久しぶりにさいたま市に来ましたが、みんな関東圏に動員されているのです。西日本からは、最高速度が120キロになった新東名を荷物を満載したトラックが、深夜になるとずっと東京に向けて走り込んでいきます。より一極集中が進んでいるのです。

 明治維新以来、中央に溜まった富を周辺部に補助金と予算で還流させる社会システムを築いてきました。政治はそれが仕事でした。しかし、この構造では、人々の暮らすそれぞれの地域社会が本来自立するための経済力、生産力を失わせてきてしまってきたという深刻な問題につながっています。

 今のままでは私たちの文明は普遍性・持続可能性を持ちえません。地球がストックしてきた化石資源もどんどん枯渇していきますし、CO2という廃棄物を大気中に出すことで地球と人間との関係のバランスが崩れて生態系が壊れてしまいます。そこで我々が考えなければならないのはどういうオルタナティブ(選択肢)があるのかです。

 3000年の長きにわたって植物というバイオマスを使って太陽エネルギーを文明圏に取り入れてきた私たち人類の過去の歴史に学ぶならば、太陽エネルギーを再生可能エネルギーに変換して人間の文明圏の中に取り入れるならば、今のシステムよりは持続可能ですし、それぞれの地域が自活できるようにもなるでしょう。

班田収授法まで遡るとわかる日本のエートス

― 中央集権の国づくりが進む中で、地方の力はだんだん削がれてきました。それを支えるために石油エネルギーだけではなく原子力エネルギーまで動員をするようになったところで、3・11(東日本大震災)が起きて原子力エネルギーの持続可能性にも黄信号が灯りました。その一方で、再生可能エネルギーが着目されて、その生産力も高まってきた。地方においても、再生可能エネルギーを自ら生み出す設備的な能力も体制も整ってきている。そこで明治維新以前の江戸時代までは農耕を中心に生産力を持ってきた地方が、もう一度再生可能エネルギーを源泉にして力を持つということになるのですね。

中川 これまでは人類発生以前に地球の生態系が2億年かけて溜め込んできた化石エネルギーを一方的に掘り出して使って捨てる経済でした。日本の場合、ここ100年から150年は地球の消費者としてしか生きてきませんでした。でも、私たちが尊敬する先祖たちがこの日本列島で培ってきた神事とか神楽は、バイオマス(植物の力)を使ってその土地で自分たちが太陽のエネルギーで、労働し価値を生み出すという関係性を全部組み込んだものであって、私たちの国はそれぞれの地域で成り立ってきた。天津神じゃなくてそれぞれに地域の国津神という時代があったということを考えると、確かにここ150年、湯水のごとくエネルギーが使える便利な状態の中で、みんなそれを忘れていました。しかし、今はむしろそういうことが海外から注目されている。それがエートスとして正しいとされたものが、例えば『もののけ姫』とかの題材の根底に流れているんです。

― クールジャパンですね。

中川 そう。でも、本当は私たちが消費者でしかない位置から生産というものを取り戻して、自分が参加をすることで地域社会が豊かになっていく可能性を持たなければいけない。そのひとつとして、希薄だけれども太陽エネルギーのフローがある。個人が屋根の上に太陽光発電を乗せ、それが系統に繋がって社会全体を支えていく。私たちはそういう物語を次の時代につくっていけるある種のとば口に立っているのです。

― 中川さんは、みんながエネルギーの単なる消費者から生産者に転換をするべきだということで、市民共同発電所という取組を始められました。

中川 原子力は中央集権的で、どうしても私たちが参加するという形にはならない。費用だけが請求される。莫大なエネルギーが集中的に生み出され、生まれたエネルギーの3分の1を蒸気に変えて発電機を回すという、ある意味で非常にプリミティブな一極集中型の仕組みで動くことによって、私たちは消費者という立ち位置を押し付けられ続けている。そこで、自分たちが自分たちの電気を作るということで、パネルを持ち寄る形で市民共同発電所を始めました。

 実はメガソーラーも原発と同じ仕組みで動いています。3・11のときに孫正義さんが「あなたたちは消費者として、毎月たったの500円払えば子どもたちに原発のない未来が待っているんです」って言って、現実は月に2000円以上の負担をさせられながら原発は止まらないという状況に私たちは追い込まれています。

 日本では、ずっと遡ると「班田収授法」という法律が国の根幹にありました。国家と個人の関係性から見れば、国は、生産財として班田を国民に保証し全ての国民が参加し、生産し、国家を支えていくという発想です。

― 奈良時代の日本を構成していた人々の数は、おそらく今の大きな自治体ぐらいでした。みんなが「班田収授法」で農業などの生産に携わることで、みんなで国を共有していたということにもなります。

中川 私たちの国は過去にそういう理念のもとで創ろうとされていたのであり、天皇制というものが担保されながらエートスとしては連綿とどこかに残っていたわけです。

 共同して社会を支える価値を分業制度の中で生み出していくことで、理想的な国の豊かさを生んできた。だから、生産されたものを奪い合う発想、地球から化石燃料を盗んできて消費をして欲望を拡大させて満足するという刹那的な生き方ではなくて、私たちが生態系の中で適切な関係性を取り戻し、「僕たちはここまで来たけど、次はあなたたちがここをベースに物を考えてね」と次の時代にメッセージを伝えられるような社会のシステムを、今、提示していくことが問われているんです。(次号「里山資源利活用税を考える②」へ続く)

 

中川 修治

『地球号の危機ニュースレター』
No.542(2026年4月号)

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