中川 修治
(前回、里山資源利活用税を考える①の続き)
―最近では環境省も脱炭素施策をやっていますが。
中川 あれは中央集権国家の官僚制度の一部なんですよ。だから、CO2を出さないことだけが目的化しちゃう。残念だけど、CO2を出さないのは結果であって、その根幹を支えているシステム全体が問われているという発想にはならず、補助金と予算を出すことしかできないのです。
―つまり、地方の自立を促していないということですね。
「消費者」としての在り方をもう一度見直す
中川 再生可能エネルギーは、太陽と設備投資をする人間と場所によって新たな価値が生み出されるという意味で成果評価型であり、まさに明治維新までの富の生み出し方なんです。しかし、それは、設備がないと私たちが使えるものには決してなりません。その設備への補助金は、再生可能エネルギーが化石由来エネルギーと競争ができ、対等の位置に立てるための経済的な担保措置なのです。確かに普及策として見れば、補助金によって見かけ上はコストが安くなります。しかし正しい経済価値は反映しません。つまり、残念ながら環境経済とか言っても、モノを普及させる発想でしか考えられてきませんでした。
国は設備の期待耐用年数で生み出される富を全発電量で評価しなければいけなかったのに、国民が参加する小規模オンサイト分散の家庭用太陽光発電からは余剰電力のみしか買いません。更に、期待耐用年数の半分の10年しか評価しませんと刹那的に買い叩いたんです。そのため、自家消費分は可視化もされず、生み出される価値の総量が評価されない仕組みになってしまいました。
これに対して、民主党政権は全量買い取りを掲げていましたが、経済産業省はそれを拒否しました。拒否しながらも、一方では太陽電池業界を育てたいために、民主党が政権を取る直前に「補助金だけじゃ駄目だ」「やっぱりドイツみたいになるといいよね」って二枚舌で余剰のみを期待耐用年数の半分の10年だけ固定価格で買い取るとした。そして政権が変わり、事業用の買取制度をどうするのかが積み残されていた。最初、経済産業省は、事業用のFIT(固定価格買取制度)にあんなに高い値段を付けるつもりはなかったんです。しかし、菅直人民主党政権も「原子力はCO2を出さないから」という程度のレベルのところでしか見ずに原子力にも前のめりになって3・11というとんでもない事故になりました。そして、本当に大事にされるべき個人がないがしろにされたままで太陽光発電をやりましょうというFITの仕組みになったんです。
―そこでソフトバンクの孫正義さんが全国にメガソーラーを100個つくりますという大風呂敷を広げた。
中川 みんな消費者で、「安い事は良いこと」と言う意識だから、「それをやってくれるのか。500円払えばいいだけだよね」って流されてソーラーバブルになってしまった。
―再エネ賦課金ですね。
中川 そう、再エネ賦課金。消費者という位置にいる限りは再エネ賦課金を払わないといけない。しかし、自分で発電所を作ってエネルギーを生み出せば自分たちが生産の主体に変われるための条件として私たちは以前から「固定価格買取制度」というものを提案してたんです。で、民主党のある一部の議員が「やりましょう。これは根幹に関わることだよね」となり、ここから政権交代後に「緑の分権改革」が始まり、「地域主権」が一丁目一番地と言われたんですが、今の時代でも決して間違っていない考え方です。
それが、鳩山政権がアメリカの属国みたいな状態で崩壊をしていく中で、ついでに一番の根幹である「緑の分権改革」も持って行かれてしまった。でも、それは地方がすごく期待したことでした。やらなきゃいけなかったことは、地域の外に出て行くお金の流れを止めるということでした。実は、エネルギー産業は強制的に地域から富を全部奪っていく仕組みなんです。1年間の電気料金の総額は18兆円。それぞれの地域が自分たちの地域内でやっていければそのお金は外に出ていかないのに、お金が独占企業にずっと支払われて地域外に出続けてしまう。
私が今住んでいる宮崎県国富町は人口2万人足らずの町で、予算が100億円強です。国民1人当たり1ヶ月1万円の電気代を払っていますから、小さな町から毎年24億円もの電気代を町の外に払っている計算になります。町の予算は基本的には地域内循環に寄与しますでしょ。
―地方税制と地方財政の中で回る状態ですね。
中川 ただ、それは今、高齢者福祉への支出とかの消費の面にすごく偏っていて、地方はそれだけを担いなさいと言われている。国が補助金と予算を全部紐付きにして、国の下部構造に組み込んで、その代わりに労働力や預金を中央に供出させる。しかし、本当は地域の価値を根幹的に動かして富を生み出していくエネルギーがすごく大事なのです。これを内部化させたい。
国のかたちが明治維新でDNAとして組み込まれた。富国強兵、殖産興業というのは、第二次世界大戦の敗戦でも変わらなかった。傾斜生産方式の戦後復興から高度経済成長でもそうでしたが、今の状況を見れば明らかに先が見えているのです。
―失われた30年ですね。
中川 だから、明治維新以前の自分たちの地域の歴史をきちっと総括し、次の時代に向けて何ができるのかを考え行動することです。仕組みは変わってきました。そのベースになる再生可能エネルギー設備は、実は既に化石燃料より持続可能性が高いし、コスト的にも見合うようになっている。
そして、個人も消費者ではなく、自分もそこに参加することによって価値を一緒に生み出せる主体になることが可能な時代が目の前に来ているんですが、生み出される富を大企業が全部システムとして中央に持って行ってしまった。これは取り戻さなければいけない。生み出された富がどれぐらいあるのか、自分たちの地域にどのくらいの潜在能力があるのかも含めて検証したうえで、地方が金を増やすための道具にされているのはおかしいと声を上げなければなりません。富を地域に取り戻して、次の世代のために自立できる未来にしていくのは地方の責任です。
―そこで里山資源利活用税という発想に繋がっていくわけですね。
中川 そこに降り注いだ太陽光と熱、そこを吹いている風、そこを流れている水は全て太陽エネルギーが源になっています。太陽は巨大な核融合炉であり、あと30億年ぐらいは持ちます。それが私たちの文明を支えてきたという本道に立ち返るべきです。私たちはその上に未来を築いていく、そういう歴史を担っているんです。
―つまり太陽エネルギーは地球上のあらゆる場所にほぼ均等に降り注いでいるので、再生可能エネルギーを生み出す装置さえあれば地方で富を生み出せる状況です。しかし、いまだに火力発電や原子力発電を使いながら、都会を媒介としてエネルギーが配分されて、富が中央に集中しているということですね。
中川 お金が増えることが目的化してしまっているのと、私たちが消費者のままだから根幹のあり様が見えなくなっている。
そこで、まずは実態調査が必要です。自分たちの地域にどれほどの潜在力があるのかを知らなければなりません。基礎自治体は太陽光発電や風力発電、小水力発電などの登録制度をつくるべきです。班田収授法でも戸籍に基づいて口分田が貸し与えられました。発電装置の所在地と発電実績や売上げ等を可視化することで、実態に応じてどう活かすべきかという議論にもつなげられます。そのデータは税務担当が持っているので、それを企画側がどう政策化するかですね。
地方税制の話の奥底にある本質は、私たちがそれぞれの生まれた場所、生きている場所で、環境を含めて主体的にどう富を生み出し、共有化して生き抜いていくのかということが問われる話に繋がります。
―主権者である住民1人ひとりが自治体に関わりながら、どのように暮らしやすさや住みやすさを持続可能にしていくか、そのための富をどう生み出すのかということですね。
中川 そのためには原資が要るわけですが、気がついたら植民地みたいに全部中央に持って行かれている。
―だから、そこで生み出された富に税をかけて地域の中にその富を留め置き、管理、循環させるということですね。
富が域内循環する地域は作れる
中川 人間は地球システムの後から出てきたんです。今は私有財産制だから所有権を持っている人間が勝手にしていいという発想になっているけど、私たちは後から来ていますし、地域の自然の生産力が基本になって動いてきました。そういうものと共生をしている人間の立ち位置は自然と同等か、むしろその下であり、母なる地球や大地の生産力に私たちの命は支えられているというのが、日本の八百万の神々、国津神がベースにある文化だったわけです。
化石燃料の稼ぎの方が生産性が非常に高いので、消費者としては製品がものすごく安価にできているように見えているけど、実は生産力っていうストックを食いつぶしているということで言えば、長い目で見ると計算上はマイナスになっている。だから、今、私たちが手に入れられる太陽エネルギーと先祖の物の考え方と新たな知見とで社会を組み立て直していくことが問われているという認識をしなきゃいけないんです。それは東京じゃできないんですよ。
どう考えたって、地方に降り注いでいる太陽の光と熱、地方に吹いている風、地方を流れる水から生まれた富を中央に集めて、補助金で地方にあげますよみたいなことは、ある意味自然に対する大いなる不敬罪ですよ。
それを取り返して地方がそこで自立する、他者に支配されず「独立自尊」の未来に向けて歩める可能性が見えているんです。人間は100年ぐらいしか生きないので、みんな学ばないまま当たり前に思っていますが、地域の過去の歴史を正しく学びながら次の時代を構想するということは必要です。

私は石川県生まれの大阪育ちで、国富町の出身じゃない。そういうことを提案しようと町議選に出たんですが、親兄弟もいない、余所者だ、3世代住まないと本物じゃないらしく、「言っていることはわかるけどあんたは親戚じゃないから駄目」と言われました。でも、町議選で集落をずっと歩いたときに、みんな過疎になって年寄りしかいない。高齢化率70%ぐらいのところでお茶を飲んで日向ぼっこしながら話すと、「あんた、10年後に来たら、ここは誰も生き残っちゃおらんよ」って。みんなそう思っている。
でも、その人たちが今の日本を支えて、一生懸命生産力を上げてきた。化石燃料ベースでやってきたけど、再生可能エネルギーをベースに自分たちの地域を作れる可能性が出てきたにもかかわらず、まだそこに辿り着けていないんです。(次号「里山資源利活用税を考える③)へ続く)
中川 修治
『地球号の危機ニュースレター』
No.543(2026年5月号)


