「地球号の危機ニュースレター」526号(2024年4月号)を発行しました。

〈ロシアのユーラシア主義1〉 侵略の背景にグランド・セオリー

連水陸路で船を運ぶ人

連水陸路で船を運ぶ人。16世紀・コラ半島付近の地図の挿絵。Art: Unknown Author, public domain, Wikipedia Commons

岡部 一明

ネオ・ユーラシア主義

 ロシアのウクライナ侵攻から1カ月たたない2022年3月22日、米ニューヨークタイムズ紙が「プーチンを戦争に駆り立てるグランド・セオリー(大理論)」という解説記事を載せた。著者はロシア史家でニューヨーク大学名誉教授のジェイン・バーバンク。侵攻の要因として、KGB出身のプーチンの独特な考え方、NATO拡大への動きへの対応、その他いろいろ政治的理由があげられるが、根っこの部分に、ロシアで広がる「ユーラシア主義(Eurasianism)」の思想潮流がある、と指摘した。 

「ユーラシア主義は、ソ連で何十年にもわたり抑圧されながら地下で生き延び、1980年代後半のペレストロイカ期に国民の前に公然と姿を現した。ソ連の牢獄と強制労働キャンプで13年をすごしたエキセントリックな地理学者レフ・グミリョフが1980年代「ユーラシア復興」の教祖的存在になった。グミリョフは、世界史を動かす要因として民族的な多様性を強調した。彼の民族起源論(ethnogenesis)によれば、民族集団はカリスマ的指導者の下でスーパーエトノス(超民族集団)に発展する。つまり巨大な地理的地域に広がり、他の有力民族集団と衝突するようになる超越的民族勢力だ。/グミリョフの理論は、混乱した1990年代に、進路を模索する多くのロシアの人々に訴えるものがあった。しかし、ユーラシア主義は、型破りの哲学者アレサンドル・ドゥーギンが展開する変種の形でロシア権力中枢の血管に直接注入されることになる。ドゥーギンは、いくつかソ連以降の政党政治で失敗した後、最も効果が得られる軍部と政策立案者に標的を絞った。彼は1997年に『地政学の基礎:ロシアの地政学的未来』(Foundations of Geopolitics)という大げさな書名の600ページに及ぶ教科書を出版し、ユーラシア主義を戦略家たちの政治的野心の中心にもたらした。」

 アレサンドル・ドゥーギン(1962年~)については、2022年8月に彼の対する暗殺未遂事件があり、代わりに彼の車を運転していた娘ダリア・ドゥギナ氏が爆殺されたことで覚えている人もいるだろう。その前のユーラシア主義復興の教祖的存在となったレフ・グミリョフ(1912年~1992年)については、ユーラシア主義について専門的著作のあるマルレーヌ・ラリュエルが次のように紹介している。

「ユーラシア主義の著名理論家たちは、ロシアとその近隣共和国で大きな影響力を行使しており、例えばレフ・グミリョフは一般市民に最もよく知られた学者の一人だ。1992年の死去後、彼はカルト的な存在になっており、その言葉は批判を超越したドグマのようにも受け取られている。彼の書いた本はベストセラーになり、版権を得た出版社は何十万単位で出版し、それらが人文・社会科学系のすべての学校・大学で必読書になっている。」(Marlene Laruelle, Russian Eurasianism: an ideology of empire, 2008, p.10)

 ユーラシア主義は、それを主張する理論家によってさまざまなバリエーションがある。現在プーチンに最も影響があるとされる上記ドゥーギンはかなりの極右と言えるが、そうでもなく純粋に多民族で構成されるユーラシアを強調する思潮もある。しかし、一般的には、ロシアの依拠する世界として、リベラリズムの西欧やアメリカ(「大西洋主義」Atlanticisim)を拒否し、東方に広がるユーラシア世界(もしくはロシア・ユーラシア世界)に回帰しようとする性向をもつ。具体的には、ロシア帝国、ソビエト帝国が版図としていた東欧からシベリアまでのユーラシアを考える。「ヨーロッパ」とは別の「ユーラシア」という新しい世界を発見し、そこに自分たちのアイデンティティを求める衝動、ある種のロマン主義が底流に存在する。

 ロシアが構想するユーラシア世界の中でもウクライナは特別だ。ウクライナは、かつてキエフを中心としたルーシの国(キエフ大公国、882年頃~1240年)として、いわばロシア国家の先祖にあたる。むろん先祖とは言わず、「兄弟国」と言うわけだが、ユーラシア世界の中心にこの両者が収まり、先導していく役割を果たさなければならない。ところがウクライナは、ロシア帝国・ソ連時代に同じ国だったにもかかわらず、現在連邦から離れ、独立している。それどころか西側に組み込まれる勢いだ。ユーラシア主義思潮にとっては心臓部分に刺さった矢のようであり、強い焦燥にかられる。

 ドゥーギンは「プーチンの頭脳」、あるいは(ロマノフ王朝を陰であやつったラスプーチンになぞらえ)「プーチンのラスプーチン」とも呼ばれるが、彼の場合は、明確にウクライナ侵攻を主張していた。その主著『Foundations of Geopolitics』で、ウクライナを含め旧ソ連の構成国は「ユーラシア―ロシア」に併合されるべきとし、「ウクライナは国家として何の地政学的意味をもたず」、ウクライナが独立国家として存在することは「ユーラシアすべてにとって途方もない危険となる」とまで言っていた。2008年のロシアのジョージア侵攻の際には、支配下においた南オセチアを訪れたドゥーギンが若い兵士を前に「ここは文明間の闘いの前線だ」と激を飛ばしている。そして、「我々の軍は首都トビリシ、そしてジョージア全土を占領するだろう。そして、おそらく、歴史的にロシア領であったウクライナ、クリミア半島もだ」とも語っている。

(ドゥーギンのユーラシア主義の詳細については、日本語では例えばこの書評を参照のこと。

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