そもそも民族はフェイクである
いや、北マケドニアよ、よくやってくれた。そもそも民族というのはフェイクだ。それを見事に示してくれた。
民族は、近代化の過程で、その地域の住民を「国民」にまとめ他と激しく競合して発展するため目的意識的に形成された。地理的に連続的に変化する多様な人々を一つの民族モデルにまとめるのだから無理が出る。
人種的・言語的・文化的に必ず典型たる中央ができ、その外がマイノリティ化される。多数民族とその犠牲になる少数派集団が必ずできる。しかし、つくりあげられた民族は求心力をもち、他と激しく競合して近代国家づくりにまい進するエネルギーを発露させた。
均質性が高く民族国家の幻想に浸りやすい日本でも、実は民族は意識的につくり出された、ということを明らかにしたのが岡本雅享の大著『民族の創出――まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店、2014年)だ。
私の荒っぽい議論に巻き込むなと氏からお叱りを受けるかも知れないが、私は同書から多くを学んだ。比較的均質性の高い日本でそうだったのだから、多様性の高いバルカンでは、さらに危い形で現れておかしくない。
マザー・テレサの出身地
北マケドニア共和国のもう一つのシンボルはマザーテレサだ。インドでの慈善事業などでノーベル平和賞も受賞したマザーテレサは1910年、当時オスマン帝国内コソボ州だったスコピエ(当時の「ユスキュプ」)で生まれている。
家はこの地域では珍しいカトリックで、母はアルバニア人、父は少数民族・アルーマニア人(ルーマニア人と同系)で、アルバニア独立運動の闘士だった。
さてそうすると、現存国家の中でどこがマザーテレサの栄誉を自分のことのように讃える国になるのか微妙になる。アルバニアかコソボか北マケドニアか。北マケドニアにすれば、テレサはスコピエで生まれ18歳までここで育った。
確かにこの街出身だと誇れる根拠がある。だからスコピエの街の至るところにテレサの記念碑が立てられ、彼女の言葉などが刻まれている。
なるほど。これでわかった。北隣コソボの首都プリシュティーナで、一番の目抜き通りが「マザーテレサ通り」に命名され、人口の9割がイスラム教徒なのに、政府の肝入りで首都中心部に巨大なローマン・カトリックの教会「マザーテレサ大聖堂」が建てられていた、その理由がわかった。 マザーテレサはコソボ人でありアルバニア系の偉人だ。それが、隣国に横取りされてはたまらない。負けるものか。そういう民族と国家の威信をかけたライバル精神があったのではないか。