「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

能登地震:ボランティア初動の課題

テレビで映像が何度も流れた被害が大きかった場所。何とか車が通れるまで復旧されていた © 岡部一明

テレビで映像が何度も流れた被害が大きかった場所。何とか車が通れるまで復旧されていた © 岡部一明

岡部 一明

 1月16日、七尾に入った。1月1日の地震で被害を受けた能登半島中央東部の街だ。前日にJR七尾線が羽咋(はくい)まで復旧し、能登中部に一般人でもたどり着けるようになっていた。以遠の復旧はまだだったが(22日に七尾まで復旧)、来てみると何と七尾までのバスがあった。14日に再開されたという。駅に降りてすぐバスが来たので乗った。七尾駅まで約1時間。羽咋から七尾まで歩いて行こうかとも考えていたが、大変な距離だった。

七尾駅から港に至る通りに沿う御祓(みそぎ)川。この川沿いの道は以前は華やかな通りだったが、周辺がかなり崩れていた。全壊家屋をいくつか見たが、本稿では私宅写真掲載をできるだけ避ける © 岡部一明
七尾駅から港に至る通りに沿う御祓(みそぎ)川。この川沿いの道は以前は華やかな通りだったが、周辺がかなり崩れていた。全壊家屋をいくつか見たが、本稿では私宅写真掲載をできるだけ避ける © 岡部一明
羽咋から七尾まで、細長い邑知潟(おうちがた)平野が続く。農村と言っても結構集落が多い。北関東の私の田舎より人口密度は高いだろう。大陸に面した日本海側はかつて先進地帯で、加賀藩は江戸幕府に次ぐ石高(102万5000石)をもち、明治13年の府県別人口は石川県が全国1位、新潟県が2位だった(東京17位、大阪34位)。今でこそ「僻地を襲った大地震」にされているが、北前船航路で繁栄した能登は決して僻地ではなかった © 岡部一明
羽咋から七尾まで、細長い邑知潟(おうちがた)平野が続く。農村と言っても結構集落が多い。北関東の私の田舎より人口密度は高いだろう。大陸に面した日本海側はかつて先進地帯で、加賀藩は江戸幕府に次ぐ石高(102万5000石)をもち、明治13年の府県別人口は石川県が全国1位、新潟県が2位だった(東京17位、大阪34位)。今でこそ「僻地を襲った大地震」にされているが、北前船航路で繁栄した能登は決して僻地ではなかった © 岡部一明

現地の交通機関はすいてる

 バスはがらがらだった。七尾駅で乗ったのは私を含め2人だけ。途中、鹿島小学校で下校児童が多数乗ってすぐ降りた以外は、あまり乗客なし。終点(七尾駅)まで通しで乗った客は私一人だった。

 被災地での「現地の混雑」「交通渋滞」が強く指摘されているが、七尾以北はともかく、この辺まではむしろ、冬の能登の閑散とした光景が広がる。1月7日、8日にも北陸に来ているが、名古屋から金沢までの高速バス乗客が4人だけで愕然とした。3連休の真ん中の日曜朝だ。高速も空いていて、金沢に10分早く到着。今回16日(火)は8人乗っていた。うち2人は小松空港下車。敦賀付近の積雪で20分遅れたが、高速が混雑していたわけではない。

 東日本大震災のとき、発災2か月後でもネット上には「行くな」の合唱があった。迷った末行ったのだが、花巻からだったか、三陸海岸に向かう列車がガラガラで、三陸はもう忘れ去られていくのか心配になったのを思い出す。

公共交通機関で行ける所まで食料持参で日帰りで

 ボランティアや調査に行くにも、「邪魔」にならない配慮、ルール順守は絶対に必要だ。しかし、「公共交通機関の動いているところまで、食料持参で日帰りで行く」方式ならば決して「邪魔」にならない。いずれにしても走る鉄道やバスに乗っても交通渋滞を加速させない。人が乗れないような混雑があれば別だが、今のところ電車、バスはすいている。食料についてはすでに現地でもかなり自由に手に入るようになった。スーパーやコンビニは時短だが開いている。決して、「カレーを食ったらたたかれる」(山本太郎議員のケース)状況ではない。

 金沢市、富山市など後方拠点都市にはネットカフェ含め安宿の空きが相当あった。むしろ両県の宿泊施設はキャンセルの激増で悲鳴を上げている。私が金沢で入った2500円ドーミトリー宿も半分以上空いていた。こうしたところを拠点に、「公共交通機関で行ける所まで食料持参で日帰りで」行ける。むろん、専門的なノウハウを持ったボランティアやNPOは奥まで進むべきで、それが非難されるようなことがあってはならない。しかし、私のような何の技能もないボランティアは当面は鉄道、バスで行けるところで留まる。ボランティアには後方支援の重要な役割があり、そこを固めることによって激甚地に入った人々を側面支援できる。東日本大震災のときも、例えば遠野市など内陸の街が三陸の激甚被災地に出動する拠点となった。盛岡駅などに着くと、そこでの後方支援ボランティア募集の張り紙が貼ってあったのを思い出す。

 私は、7~8日、16~20日にこの地に行った。可能な限りボランティアの可能性を追求したが、できなかったことを認めなければならない。行政や団体にやたら問い合わせするのは控えなければならない(余計な負荷になる)。ウェブ、張り紙、実際の街路での活動状況などを見て判断する。主要駅に着くたびに募集のビラを探したがなかった。街の中でボランティア活動が行われている現場も見ななかった。

 最低限、宿でにわかボランティアしようと思っていた(身元を登録するので不審者とは疑われない)。だが、金沢で泊まった2500円ドーミトリー宿は、付近に被害はなく、屋内でも「お皿が4枚割れただけ」とのことだった。残念ながら「ぽっと出のボランティア」の出幕はなかった。このところ、NPOとの関係が薄くなっていた故の自業自得で、反省する。

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