「地球号の危機ニュースレター」527号(2024年5月号)を発行しました。

(東欧便り)アララト山はアルメニアの聖なる山

アルメニアの首都エレバンから見たアララト山(5,137m)。雲に隠れた右側 @岡部一明

アルメニアの首都エレバンから見たアララト山(5,137m)。雲に隠れた右側 @岡部一明

「20世紀最初のジェノサイド」

 ロシアの侵攻と戦っていたオスマン帝国は、同じく帝国支配に抵抗する領内のアルメニア人を危険視し、1915年4月~5月にかけてアナトリア東部(西アルメニア)からアルメニア人の強制移住を断行。この過程で多くのアルメニア人が虐殺された。4月24日にはイスタンブールの著名アルメニア人らが追放され、後に多くが殺害。一連の過程で、少ない推定で20万人、多くて200万人のアルメニア人が死亡した。アルメニア側はこれを「20世紀最初のジェノサイド」と規定し、この4月24日を虐殺追悼記念日としている。(トルコは、安全地帯への避難のための移住でありそこでの不幸な死亡、あるいは通常戦闘での死者などが含まれるとする立場。)

ユダヤ系と同じ「交易離散共同体」

 以上のような激動の歴史を経てきたアルメニア人たちは、多くが故地を逃れ世界中に散っていった。現在、アルメニアに住むアルメニア人より国外に住むアルメニア人の方が多い。2007年の調査では、全世界758万人のアルメニア人のうち、アルメニア本国に暮らす人は約4割の297万人。ロシア120万人、米国50万人などが多い。通商活動に秀で、独自の言語と宗教をもち、世界各地でアルメニア人居住地をもち続けた彼らは、「交易離散共同体」を形成し、ユダヤ人と似たところがある。ともに近年になって故地付近に独立国家をもつことにもなっている。

 世界各地で活躍する著名アルメニア人がいる。例えば現在各種国際会議で苦しいウクライナ侵攻正当化論を展開するロシア外相、セルゲイ・ラブロフもアルメニア系だ。ベルリンフィル指揮者をつとめた「楽壇の帝王」カラヤン、露作曲家ハチャトゥリアン、テニス王者アガシ、仏歌手シルビー・バルタン(え、知らない?)、仏元首相バラデュールなどもアルメニア系だ。

アルメニア人ジェノサイドの記念碑。アララト山が見える首都西部ツィツェルナカベルトの丘に1967年に設置された @岡部一明
アルメニア人ジェノサイドの記念碑。アララト山が見える首都西部ツィツェルナカベルトの丘に1967年に設置された @岡部一明
メモリアルの中。ここには「永遠の炎」が燃えているはずなのだが、献花で埋もれていた。訪問したのが4月26日で、虐殺メモリアル・デーの2日後のためこのような状態だったようだ。学生、生徒など訪れる人も多かった @岡部一明
メモリアルの中。ここには「永遠の炎」が燃えているはずなのだが、献花で埋もれていた。訪問したのが4月26日で、虐殺メモリアル・デーの2日後のためこのような状態だったようだ。学生、生徒など訪れる人も多かった @岡部一明
首都エレバンの中心部、共和国広場。レンガ色の共和国政府ビルが南東角に立つ。ソ連時代にはレーニン広場と呼ばれ、広場にレーニンの銅像があったが、1991年に撤去 @岡部一明
首都エレバンの中心部、共和国広場。レンガ色の共和国政府ビルが南東角に立つ。ソ連時代にはレーニン広場と呼ばれ、広場にレーニンの銅像があったが、1991年に撤去 @岡部一明

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