「地球号の危機ニュースレター」526号(2024年4月号)を発行しました。

(東欧だより)ブダペストの穴ぐらで

ハンガリー・ブダペストの「恐怖の館」博物館。中は写真撮影禁止なので、自分の写真は外側からのものだけ ©岡部一明

ハンガリー・ブダペストの「恐怖の館」博物館。中は写真撮影禁止なので、自分の写真は外側からのものだけ ©岡部一明

岡部 一明

秘密警察の独房

 かつての秘密警察本部の地下に、暗く冷たい穴蔵があった。まったく窓のない房もあれば、立つことのできない低い天井の房もあり、横たわれない狭い房もあった。

 第二次大戦中にファシスト政権の秘密警察、そして戦後はハンガリー社会主義政権下の「国家保衛庁」(AVH)の本部となっていた建物が、現在、「恐怖の館」博物館として公開されている。20世紀にハンガリーが経験せざるを得なかった二つの恐怖政治の実態を展示するとともに、そこで拷問され処刑された者たちの鎮魂の場所ともなっている。

 多くの展示も優れているが、地下にそのまま捨て置かれた監獄が何よりも人々に非道を訴える。小さな窓のある比較的ましな独房でさえも、その冷たい暗い空間に立つと当時の人々の味わった苦しみが伝わってくる。そのイメージを「見る」だけではだめだ。その「空間に立つ」こと。そこで人々は初めて何かを感じる。例えば東日本大震災の映像を見るだけではわからない。まわりの環境すべてが破壊されたその場所に立つことで人は初めて体に戦慄が走るのを感じる。

 この暗い牢獄の岩壁を見ながらついえていった命がどれだけあったか。この獄壁を見ながら消えていく人は何を考えたか。20世紀社会主義の犠牲者の数は全世界で2000万人との推計もある。ここだけでなく、どれだけの人々の感情が同じように消えたのか。何も語らない何も説明のない獄の静寂から想像が走る。

博物館に入ると中央に戦車が展示され、そのまわりに、ブダペストで共産主義の犠牲になった人たちの写真が並べられている。周りの部屋に各種展示がある。Photo: drcw, Wikimedia Commons, CC BY 2.0
博物館に入ると中央に戦車が展示され、そのまわりに、ブダペストで共産主義の犠牲になった人たちの写真が並べられている。周りの部屋に各種展示がある。Photo: drcw, Wikimedia Commons, CC BY 2.0

ファシズムと共産主義と

 第二次大戦中、ルーマニア、フィンランドなどともに枢軸側に居たハンガリーは、ドイツ敗戦が濃厚になるにつれ連合国側との講和に動いた。そこに1944年10月、ドイツの支援を受けたハンガリーのファシスト党「矢十字党」のクーデターが起こる。翌45年2月にブダペストがソ連軍に陥落するまでの短期間、ファシスト政権が存在した。

 ソ連占領後、共産主義政党ハンガリー勤労者党が権力基盤をかため、1949年にハンガリー人民共和国が成立。同党のラーコシ書記長は忠実なスターリン主義者で、反対勢力を徹底的に弾圧・粛清した。その先鋒を担ったのが国家保衛庁(AVH)だった。当初は、ソビエト連邦の秘密警察の付属物だと考えられていたが、1948年から1953年までに行った一連の粛清の残虐さにより、独自の悪評を得ることになったという。(AVHの設立は1950年。その前身は45年のPRO、46年のAVO。56年のハンガリー動乱時にAVHは廃止され、その機能は内務省に移行した。動乱鎮圧後も63年に動乱政治犯に大赦が下りるなど、穏健派が徐々に勢力を伸ばし、ハンガリーは東欧社会主義の中で唯一正式の秘密警察が存在しない国なったとされる。)

 Communist Crimesサイトによると、ハンガリーでは1945年から46年だけで、35,000人が政治犯となり、うち1,000人が死刑になるか拷問で殺され、他に55,000人が強制収容所送りとなった。1956年のハンガリー動乱では、ソ連による反乱鎮圧で2,500人のハンガリー人が死亡し、20万人が国外に脱出した。26,000人が逮捕され、350人が処刑された。

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