「地球号の危機ニュースレター」543号(2026年5月号)を発行しました。

りんごの南限、みかんの北限(第1回)フリーライター農民になる

夕暮れ時の筑波山 © 早川幸子

夕暮れ時の筑波山 © 早川幸子

早川 幸子

 2024年3月、ひょんなことから農地を取得して農民になりました。このコラムでは、半農半ライターの私が、茨城県の旧八郷町の小さな畑を通して感じた社会の問題についてお届けします。


 20243月、茨城県石岡市の八郷地区(旧・八郷町)に一反ちょっとの農地を取得して農民になりました。八郷は筑波山系の山々に囲まれた農村地帯で、盆地特有の寒暖差を生かして様々な農産物が作られています。有機農業の先進地域でもあり、2023年にはJAやさと有機栽培部会が、日本農業賞(主催・JA全中、NHK、他)の大賞を受賞したほどです。この地に私が移住したのは10年前のこと。ありきたりですが、きっかけは東日本大震災でした。

 都市の暮らしは、食べ物やエネルギーなど暮らしに必要なものの多くを地方に依存しています。「便利な都市生活は、地方の犠牲の上に成り立っている……」。2011311日、東日本大震災の発生当時、東京で暮らしていた私は、東京電力の福島第一原子力発電所の事故によって、そのことを痛感することになりました。そして、都市生活を続けることに疑問を持ち、地方への移住を考えるようになったのです。とはいえ、移住先のあてがあったわけではありません。漠然と「身近に土のあるところに引っ越して農的な暮らしをしたい」という思いで、移住を推進している地域に見学に行ったり、国の移住相談窓口「ふるさと回帰支援センター」のイベントに参加したりしていました。こうして移住先を探していた時、八郷で米作りをしていた知人に誘われて、田植えの手伝いに行ったことで移住の扉が開きました。

 バスを降りて、筑波山を見ながら田んぼまでの畔道を歩く途中で、すでに私は「ここに移住しよう」と決めていました。八郷がどんな土地なのか、どんな人が暮らしているのか、借りられる家はあるのか。知っている人もいなければ、何のあてもなかったけれど、ピーン!ときてしまったのです。そして、家探しを始めて2年後の201610月、ようやく借りられる家が見つかり、八郷に移住したのです。あれから10年。今も、ここ八郷で暮らしているということは、私の直感は間違っていなかったのでしょう。でも、まさか自分が農民になるとは、当時の私は想像すらしていませんでした。

「りんごの南限、みかんの北限」に込められた意味

 移住して最初に暮らしたのは、築50年は経っていそうな賃貸住宅でした。200坪ほどの敷地に建てられた23坪の小さな平屋で、漫画「サザエさん」に出てくるような昭和な家でした。家の南側には雪見障子で隔てられた広い縁側があり、春には庭に植えられたシンボルツリーの白木蓮を眺めるのが至福の時間になりました。そして、移住後もフリーランスライターの仕事を続けながら、庭の一角を開墾して自給用の野菜をつくる生活をスタートさせました。

 石岡市は茨城県のほぼ中央に位置しており、東京からの直線距離は約70㎞。他の地方と同様に高齢化や人口減少は進んでいますが、古代には常陸国の国府が置かれ、政治や経済の中心地として繁栄した地域です。2005年の平成の大合併で、市街地や工業地帯のある旧石岡市と、農村地帯の旧八郷町が合併して新しい石岡市が誕生しました。現在、私が暮らしているのは旧八郷町で、今でも日本の原風景さながらの里山を有する自然豊かな地域です。

旧八郷町の位置

 その八郷を象徴するのが、タイトルの「りんごの南限、みかんの北限」という言葉です。細長い日本列島のなかで、りんごの産地は青森や長野など雪の多い寒地、みかんの産地は愛媛や和歌山などの暖地と分かれています。ところが、八郷はりんご栽培とみかん栽培が交差する珍しい地域なのです。生育条件が異なる2種類の果物の栽培を可能にしているのが筑波山の存在です。八郷は筑波山の東側に位置しており、ローマ字の「C」のように筑波山系の山々に取り囲まれています。移住した最初の冬の朝、水道が凍結してビックリしたのですが、冬になると盆地特有の強い放射冷却が起こります。この底冷えする寒さがりんご栽培を可能にしているのです。一方のみかん栽培には、筑波山の中腹に発生する斜面温暖帯が利用されています。通常、標高が高くなると気温は下がりますが、冬の平野部は地面からの強い放射冷却によって地表付近の気温が低下し、標高の高い場所の方が高温になる逆転現象が起こります。この気象条件を利用して、暖地が主流のみかんも栽培されているというわけです。

 八郷では、りんごやみかんの他にも、柿や栗、梨、ぶどう、いちご、メロンなどの果物栽培も行われており、米や小麦、野菜の生産も盛んです。「りんごの南限、みかんの北限」という言葉は、単にりんごとみかんの産地というだけではなく、実り豊かな土地であることを表すものだと私は感じています。

農地を取得して半農半ライターに

 恵み多い土地柄のせいか、地域の人々は往々にして大らかで、移住者の私も快く仲間入りさせてもらえました。地区ごとにある班(町内会)は農業的なつながりが強く、今でも冬になると病害虫を駆除するために一斉に田んぼの芝焼き(畔焼き)を行う地域もあります。また、地域の神社の祇園祭では山車が引かれてお囃子が奉納されたり、子孫繁栄を願って女性たちが集まる子安講が残っていたり、昔ながらの伝統行事も続いています。

 一方で移住者コミュニティも盛んで、自給的な暮らしを実践している有機・循環型の共同農場、円を介さずに経済活動を行う地域通貨を展開しているグループ、茅葺き屋根の保存を目的に有機的なつながりを持つNPO、子ども向けの田舎暮らし体験をビジネス化している人など、多種多様な人々が興味深い活動を行っています。また、益子や笠間など焼き物の産地に近いことから陶芸家の移住者も多く、それに付随して木工や竹細工、人形、金継ぎなどの作家活動をしている人も自然と集まっています。私のようなライターやカメラマンなどフリーランスで働く人もいて、八郷には様々な文化的背景を持った人が入り混じって暮らしています。

 私の場合、移住はしたものの仕事を変えたわけではないので、ちょっと遠くへの引っ越しという感覚でした。クライアントや取材先の多くは東京なので、移動に時間はかかるものの通勤圏内です。原稿はどこでも書けるので、仕事を続けながら庭で野菜作りをしているうちに、気がつけば数年が経っていました。その間に、少しずつ地元の方々との関係もできて、頼りになる友人や参加するコミュニティもできました。そして、世界中を大混乱に陥れたコロナ禍によって、都市で暮らすことへの疑問はさらに膨れ上がり、八郷に終の棲家を得たいと思うようになったのです。

 こうして土地探しをしている時に、友人の伝手で譲ってもらえることになったのが一反ちょっとの農地でした。農地の売買は農民同士しかできません。そこで、農業委員会に申請をして農民になる許可をもらい、農地を取得。その一角を宅地に転換して小さな家を建て、半農半ライターとして暮らしていく決意をしたというわけです。

 新緑の5月。山の緑は日に日に濃くなり、水の入った田んぼではカエルの大合唱が始まります。大きな水鏡となった田んぼに映し出される筑波山の姿は、得も言われぬ美しさです。ところが、ここ数年、この美しい里山の風景が、ソーラーパネルによって破壊されつつあります。昨日まで畑だったところが、突如としてソーラーパネルになっているのです。有機農家の友人は、熱心に耕していた畑を「ソーラーに売るから、すぐに返してくれ」と地主さんに迫られたり、ソーラーパネル設置に反対の声を上げたことで業者からスラップ訴訟を起こされたり……。ソーラーパネルは自然環境の破壊だけではなく、里山で暮らす人々の脅威になりつつあるのです。 (以下、次号)

大きな水鏡となった田んぼに映し出される筑波山 © 早川幸子
大きな水鏡となった田んぼに映し出される筑波山 © 早川幸子

早川 幸子

『地球号の危機ニュースレター』
No.543(2026年5月号)

 

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