「地球号の危機ニュースレター」529号(2024年7月号)を発行しました。

(東欧便り)北マケドニア:アレクサンドロス巨大像が意味するもの

photo@岡部一明

マケドニア博物館の衝撃

 その後、マケドニア博物館に行き、ガツンと頭をたたかれたような衝撃を受けた。そこには、「フェイクだ」と茶化していたマケドニア民族主義についてまったく別の見方が展示されていた。

マケドニア博物館近代史の展示コーナー
マケドニア博物館近代史の展示コーナー photo@岡部一明

 展示説明でまず目についたのはthe portion of Macedonia under Greek rule(ギリシャ支配下のマケドニア地域)という言葉だ。これが頻繁に出てくる。「北マケドニア」の歴史の博物館なのに、なぜギリシャ側のマケドニア地域にこれほど言及するのか不思議に思った。むしろ、そちらを中心にマケドニアの歴史を語っているようにみえる。

 全体を見て納得した。この「マケドニア博物館」はマケドニア民族全体の歴史について語っているのだ。その中心は当時も今もギリシャ支配下の南部地域、テッサロニキを中心にしたエーゲ海沿岸平原部にあり、民族自決の闘いも主要にはそこを中心に行われてきた。だからこの地域を外すわけにはいかない。

 そしてたたかったが、結局南部はギリシャに組み込まれてしまった。具体的には、第二次大戦後、北部はユーゴスラビア連邦の一部、マケドニア共和国となって一定の自治を得たが、残りはギリシャに取られた。マケドニア全体を独立させようとしたが、英米の後ろ盾を得たギリシャにはかなわなかった。 ユーゴスラビア側もまあ北マケドニアだけもらえばいいか、ということで手を引いた。ギリシャの中に取り残された南マケドニアからは国外に逃げる大量の難民が出て、結局南マケドニアの自立、マケドニア全体の民族自決は夢と消えた。そういう風にこの博物館の展示は解説しているのだ。

地図上でも「ギリシャ支配下のマケドニア」(マケドニア地域南部)にスポットライトを当てている
地図上でも「ギリシャ支配下のマケドニア」(マケドニア地域南部)にスポットライトを当てている photo@岡部一明

 例えばこんなことを言っている。

 「ギリシャ支配下のマケドニア部分は、Goce Delchev、Krste Petkov Misirkov、その他多くの有力マケドニア活動家が生まれ育った土地だ。

 マケドニアの革命組織が結成された地であり、テッサロニキの諸団体が多大な勇気と犠牲をもって戦い、バルカンに解放を求める人々の国があることを全ヨーロッパに示した土地だった。

 さらに、イリンデン蜂起[訳注:1903年にオスマン帝国の支配に抵抗したマケドニア人の反乱]などの闘いが起こった地域でもあった。」

 「[しかしながら]、打ち続く戦争と破壊、そして第二次世界大戦と特にギリシャ内戦期(1946~1949年)を通じた暴力的移民政策で、ギリシャ支配下のマケドニア部分で差別、非民族化、同化が進行した。」「内戦の中で、ギリシャ支配下のマケドニア部分のマケドニア人は、連邦マケドニア人国家への統合という理念をめざし、これに積極的に参加した。 しかし、列強の政治的介入、ユーゴスラビア連邦人民共和国の支援停止、[同国からの支援ルートだった]国境の閉鎖などにより、マケドニアの人々とエーゲ海部隊[南マケドニア人の部隊]の最も悲惨な脱出が起こることとなった。」

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