「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

(東欧便り)北マケドニア:アレクサンドロス巨大像が意味するもの

photo@岡部一明

なぜ「北」マケドニアか

 2022年12月11日、北マケドニアの首都スコピエ(人口55万)に着いた。着いてすぐ、なんだこれは、フェイクか、と思った。マケドニアという国自体に大きな疑問符がついた。

 まず、なぜ「北」マケドニアというかというと、1991年の独立時にはマケドニア共和国と言っていたが、ギリシャから文句をつけられた。勝手にマケドニアを名乗るな、と。そりゃそうだ、マケドニアというのはギリシャ北部、特にテッサロニキ付近を中心にした地域だ。

 現在の北マケドニア周辺も含まれるが、その辺境であったことは否めない。古代マケドニア人は、ギリシャ語の方言を話すギリシャ人だった。そこからアレキサンドロス大王(紀元前356~同323年)が出てインド北西部に至る大帝国をつくった。

 この栄光の帝国祖地名を横取りされったのだから、ギリシャが怒るのも無理もない。日本の市町村名でも、その地域全体を指す著名な地名を、そのはずれの小自治体が名乗ってひんしゅくを買うことがある。

 北マケドニアは海なしの小国だ。外との連絡を保ち経済を成立させるにはギリシャを怒らせられない。2019年に国名を「北マケドニア共和国」に変えた。まあそれでギリシャも納得したのではないか。

この圧倒的な騎馬像は何だ。言わずと知れたアレクサンドロス大王だ。紀元前4世紀、マケドニア(現ギリシャ北部)から出てバルカン半島からインダス流域までの巨大帝国を築いた英雄。そしてここはそれにあやかる北マケドニア共和国の首都スコピエだ。高さ22メートルに及ぶこの銅像は、この国の人々がどれだけアレクサンドロス大王を誇りとし入れ込んでいるかを十分に語る
この圧倒的な騎馬像は何だ。言わずと知れたアレクサンドロス大王だ。紀元前4世紀、マケドニア(現ギリシャ北部)から出てバルカン半島からインダス流域までの巨大帝国を築いた英雄。そしてここはそれにあやかる北マケドニア共和国の首都スコピエだ。高さ22メートルに及ぶこの銅像は、この国の人々がどれだけアレクサンドロス大王を誇りとし入れ込んでいるかを十分に語る photo@岡部一明
アレクサンドロスが剣を向けているのは東の方向。アナトリア半島から、イラン、メソポタミア、エジプト、インド西部、中央アジアまで征服した。近代にスペイン、ポルトガル、英仏欄など「西欧」が発展する以前、富の中心は東だった。ヨーロッパの英雄たちはこぞって東に向かった。東アジアで北方遊牧民がこぞって南の中華を目指したように。日本など「東夷」は西方向となる大陸、半島を目指した
アレクサンドロスが剣を向けているのは東の方向。アナトリア半島から、イラン、メソポタミア、エジプト、インド西部、中央アジアまで征服した。近代にスペイン、ポルトガル、英仏欄など「西欧」が発展する以前、富の中心は東だった。ヨーロッパの英雄たちはこぞって東に向かった。東アジアで北方遊牧民がこぞって南の中華を目指したように。日本など「東夷」は西方向となる大陸、半島を目指した photo@岡部一明

独立しても多民族国家

 多民族国家ユーゴスラビアから抜け出て、1991年、マケドニアという小さい独立国をつくった。長野県と新潟県を合わせたほどの国土で、人口は200万。

 それでマケドニア人だけの国になったのかというとそうではなく、マケドニア人は54.21%。他にアルバニア人29.52%、トルコ人3.98%、ロマーニ2.34%、セルビア人1.18%、ボスニア人0.87%、ブラフ人0.44%とかなりの多民族国家だ(2021年、北マケドニア統計局集計)。

 これは重要なことだ。複雑に民族が絡み合った地域では、いくら民族自決で独立しても、堂々巡りのようにその小さい独立国にやはり多様な民族が存在し、その共生の課題が継続する。「独立ですべてが解決」、ではないのだ。

マケドニア人はブルガリア人か

 そしてさらに、その「マケドニア人」はほとんどブルガリア人だ。マケドニア語とブルガリア語はよく似ており、互いにコミュニケーションが可能だ。

 ブルガリア人はマケドニア人のことをブルガリア人だと思っているという。ブルガリア政府もマケドニア語はブルガリア語の方言だとし、こうした問題を盾に北マケドニアのEU加盟に拒否権を発動している。

 そのブルガリア人も民族的に言うと、中央アジアからやってきたテュルク系の人々が、6世紀頃からバルカンに大量に入ってきたスラブ系と混血・同化して形成された。現在では「南スラブ系」に分類されている。古代マケドニア人とはかなり異なる人たちと言える。  え、北マケドニアっていったい何なの? と思ってしまった。いろいろ歴史的経緯はあっただろうが、どうしてこんな国が出来たのか。しかも1991年にユーゴスラビアから独立する際、他の旧ユーゴスラビア地域であれほど憎しみの民族間紛争が起こったのに、ここは比較的スムーズに独立を達成した。実に不思議だ。

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