「地球号の危機ニュースレター」533号(2024年11月号)を発行しました。

大人の言葉と子どもの目線、バトンを渡すということ

© 湯木恵美

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湯木 恵美

 昨年の夏、地元の小学校の命を考えるための出前授業をする機会があった。今回のテーマは、「地域猫について」。私がボランティアで猫の活動をしていることからのご縁ではあったけれど、正直45分間埋められるのかどうか不安もあった。

 何より、子どものいない私にとって、小学校3年生がどれくらいのことを理解でき、何を考えているのか見当もつかなかった。わかっているのは、アニメ「ちびまる子ちゃん」のまる子が小学校3年生だと言うことくらいで、アニメを見ている限り、結構いろんなことを考えたり理解したりしていると思う程度だった。

 お話をいただいてから、実際の授業の日までは1週間足らずしかなかったが、お引き受けした限りには全力で取り組もうと思った。

  私は、昔から大人の話す言葉をよく覚えている子供だった。その時、意味がわからなくても、後からアコーディオンカーテンをたたむように思い出すことがある。それは自分の人生の折々でやってくる。今でもそう。特に目上の方が話された言葉は経験から来るものであるだけに、私にとっては重い。大人の使った言葉を記憶することはまるで私の癖のように思う。もちろん実際に自分が経験した時には、全く違う感覚を覚え、人それぞれなんだなぁと思わされる事もある。それでも、それはそれで良い。そんな時は、2通りの感覚を比べていたりもする。そんな私であったから、私の言葉がどんなふうに子どもに伝わるのかは緊張した。そしてひとつだけ自分に決めたルールは、こうなって欲しなどと、子どもをコントロールしないということだった。ありのままを話して考えてもらう。もしかしたら、若いこの子たちからは、私たちには考えもつかないアイデアをもらえるかもしれない。そんな期待も抱きつつ、1週間、可能な時間を使って練習に励んだから大丈夫なはずだった…。

 なのに、正面にいる32人の子どもの顔はキラキラしすぎていて圧倒された。それに目が綺麗!子どもって、こんなに生き生きしているものだったかと、意気揚々と黒板の前に立った私は一瞬にして生気を抜かれてしまった。私もこんなふうだったのだろうか?いや違う。私は漫画や本ばかり読んでいたし、大人の話す言葉をなんだろう?と考えているような変わった子で、こんなにキラキラしてはいなかったはず。そんな思いに気を取られかけたけれどなんとか持ち直し、私は私たちが今やっている活動内容を飾ることなく、また誇張することなく彼らに伝えることに集中しようとした。子供たちは、一生懸命聞いてくれていた。目が合う。顔を上げれば目が合いまくる。たまらなくなって窓の外を向いても、そこも、もうすぐ夏休みに入ろうとする季節を迎えた木々の、勢いのある緑と鮮やかさを感じるばかりで、私はこの生き生きとキラキラから逃れることをあきらめ、精一杯話した。

 なのに、正面にいる32人の子どもの顔はキラキラしすぎていて圧倒された。それに目が綺麗!子どもって、こんなに生き生きしているものだったかと、意気揚々と黒板の前に立った私は一瞬にして生気を抜かれてしまった。私もこんなふうだったのだろうか?いや違う。私は漫画や本ばかり読んでいたし、大人の話す言葉をなんだろう?と考えているような変わった子で、こんなにキラキラしてはいなかったはず。そんな思いに気を取られかけたけれどなんとか持ち直し、私は私たちが今やっている活動内容を飾ることなく、また誇張することなく彼らに伝えることに集中しようとした。子供たちは、一生懸命聞いてくれていた。目が合う。顔を上げれば目が合いまくる。たまらなくなって窓の外を向いても、そこも、もうすぐ夏休みに入ろうとする季節を迎えた木々の、勢いのある緑と鮮やかさを感じるばかりで、私はこの生き生きとキラキラから逃れることをあきらめ、精一杯話した。

 昔は、動物病院もなかった。けれど、犬や猫も家族として命を大切にされるようになったこの時代に、まだまだ、家がなく外で暮らさなければならない猫たちが沢山いること。そして外の猫たちにご飯をあげなければ、その子たちはどうなってしまうのかと考えた時に、苦しんで飢えて死んでいくことが、私たちにはとても悲しく感じたこと、だからご飯をあげて、その代わりもう産まれ、増えたりしないように手術をすることを頑張っていかなければいけないこと、それが動物たちと一緒に暮らしていくには必要であるとの思いにたどり着いたことを話した。対象が猫でなくてもいい、犬でも、人でも、お友だちでも、自分以外にも命があって、自分じゃない命が悲しかったり、痛かったりした時、それをどう思うか考えて欲しいと伝えた。

 イラストを使ってなるべく解り易く話したのだけれど、子どもたちは私が思っているよりもずっと理解してくれ、質問コーナーでは、時間が足りないほどの質問をもらえた。

 そして、最後に私が1番伝えたかった事を話した。このやり方が本当に正しく、未来に継承していくべき100%ではないと言うこと。私たちは、野良猫との共生をこの方法でしか考えられなかった。もしかしたら間違っているのかもしれない。今、安心で安全で豊かな時代ではあるが、それまでには戦争があり、貧しい時代があり、犬だの猫だの言っていられない時代があった。その頃のことを私たちは決して非難はできない。ただ、先人の大変なご尽力のおかげで、自由に考え、小さな命にも目を向け、手を差し伸べられる時代になった。法律も変わった。自分以外の命に目を向けることができれば、安易に人を傷つけたりすることがなくなるのではないかと、確信を持って言える時代をいただけた。その中で私たちが考えられるのはここまでだけど、本当はもっともっと素敵なやり方や良い方法が見つかるかもしれない。だからこのやり方を継承するのではなく自由に選択してほしいと。ずっとずっと続いてきたバトンを私たちは渡すだけで、そのバトンをどのように繋いでいくかは子どもたちの自由だと言うこと。これは結構大人の言葉で伝えてしまった気がする。

  あれから、半年、子どもたちは自由な授業の時、地域猫について勉強し続けてくれたそうだ。大人でなければできないこともあるから、今の自分たちにできる事は何か考え調べてくれた。募金箱を作り寄付を募ってくれた。ポスターを書いて命の大切さをアピールしてくれた。猫の譲渡会などにも手伝いに来てくれて、自分たちで作った缶バッチやキーホルダーを売って、売上金を猫の医療費にと寄付をしてくれた。その活動は今も続いていて、子どもたちが思う未来を垣間見ることもできた。子どもの未来は無限だ。だから変わっていくかもしれない。けれど、子どもたちが今思う気持ちと言葉を見つけた。それは募金箱を置かせていただいたお店への感謝のお手紙の一部にあった。

© 湯木恵美
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「私たちの猫を助けたいと言う夢はすべてまだかなわないと思うけど、てつだってもらった大切な気持ちを大事にしていきたいと思います。このお金はゆめに向かう第一歩となりました」

 この一文を見た時、キラキラした顔とキラキラした目に圧倒されたときの自分を思い出した。 子どもたちは、いつか大人になってこんな今をどんな気持ちで振り返るのだろう。大人の言葉を覚えているのだろうか。そして素敵な上書きをしていって欲しい。どんな方向でも構わない。託したのだから。  

もうじき、新学期が始まる。

© 湯木恵美
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湯木恵美

『地球号の危機ニュースレター』
No.526(2024年4月号)