山秋 真
「どんぶらこ取材こぼれ話 第73回」でお伝えさせていただいたブックトークイベント『ためされた地方自治:原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』は、お陰さまで4月初旬、盛況のうち無事に終了しました。それから間もない4月中旬、わたしは今年3回目となる石川県入り。ついに能登半島の先っちょ・珠洲(すず)市へ、なかでも拙著『ためされた地方自治』のおもな舞台である高屋町へ、向かうことが叶いました。
この1月1日におきた能登半島地震の震源となった珠洲市。そこには20年前の2003年まで、原発を新設する計画がありました。
より具体的にいうと、市内でも能登半島の先端に位置する高屋町と寺家(じけ)地区を、関西電力と中部電力がそれぞれの候補地としていました。そこに地元の北陸電力も調整役として加わり、3社が共同事業として珠洲原発の計画を進めようと活動していました。
それに対して反対する声が珠洲市の内外で湧きあがり、市民が草の根選挙や裁判などさまざまな行動を重ねた末に、珠洲の原発計画は「凍結」されたのです。まもなく電力3社は珠洲原発の立地に向けた事務所を撤収。事実上の計画「断念」でした。
今年2024年の元日に起きた地震は、まさにその2地点のあいだを震源として起きたのです。電力3社や国の計画どおりに珠洲原発ができていたら、原発の直下を震源とする大きな震災が起きていたことになります。天災に人災が加わって、深刻な原子力大災害となっていた可能性は否定できません。
それを未然に防いだ珠洲の方々は、家屋が壊滅的な被害を受けたため石川県の南部で避難生活をつづける人が少なくありません。そのひとりが高屋町の自宅へ日帰りで一時帰宅する際に、わたしも同行させていただけたのです。
そこで見聞き感じたことを、ぜひともお伝えしたいのですが、まだなかなか言葉になりません。そこで今回は、わたしのメモがわりの映像で、ひとまず少しでも現地の様子をお伝えできればと願います。拙いものですがよろしければご笑覧ください。
なお、珠洲の原発計画に関連して本連載でも、第66回と第72回にそれぞれ「珠洲の人びとと地球の響き声〜なお残る原発の新設計画・上関の現在〜」、そして「珠洲と地球と人類 〜2024年能登半島地震の震源近い高屋の人びと〜」という副題で書かせていただいています。こちらを未読の方や内容をお忘れの方は、この機会にぜひ、あわせてお読みください。
映像メモ:「2024年春 能登半島の突端部 のと里山海道で七尾から珠洲へ。」
山秋 真
『地球号の危機ニュースレター』
No.529(2024年7月号)