「地球号の危機ニュースレター」534号(2024年12月号)を発行しました。

〈アフリカの旅6〉ツムクェへの道

グルートフォンテインからツムクェに至る300キロの道のり © 岡部一明

グルートフォンテインからツムクェに至る300キロの道のり © 岡部一明

ツムクェ行きの車が来た

 「おいおい、ツムクェの途中までだが、ポリース・チェックの所まで乗せてくれる車が見つかったぞ。150Nドルだ。そこまで行けば、後はツムクェまで別の車が簡単に見つかる。」 

 よし来た。間髪を入れず、誘いに乗る。2時間待ってやっと現れた車だ。乗らない手はない。小型トラックの夫婦で、街に野菜を売りに来た帰りだという(いや、買い付けに来た帰りだったかな?)。いいぞう、やっとツムクェに行けることになったぞ、と興奮して助手席でしばらく待つと、、、

 「ツムクェまで直接行く車が見つかった。あっちに移れ。あと200Nドル払う必要がある。」と促される。

 何だかよくわからないが、ツムクェに直接行けるならなおいいだろう、とそっちに移る。これはまったく正解だった。行ってみてわかったが、「ポリース・チェック」(肉なの搬入などを取り締まっている)からツムクェまで、まだ相当あった。地図で見ると行程の半分くらいでしかない。「そこまで行けば、次の車がすぐ見つかる」も、さてどうだか。

 計350Nドルになるが、高いのか安いのかわからない。「ロードマスター」が仲介料を上澄みして相場より高くなったのかも知れない。ドライバーと口論しているからその可能性もある。しかし、8000Nドル(7万円)払わなければならないのか、と思っていたのが350Nドル(3000円)になったのだ。ただになったようなものだ 

 ちなみに、最初、待っている客に聞いたら、ツムクェまで250Nドルくらいだろう、と言っていた。後で信頼できる宿のスタッフに聞いたら、10キロ10Nドルが相場だから350Nドルは妥当な額だろう、ということだった。

 とにかく私はツムクェまで行ければ御の字。「ありがとうよ」と手配のロードマスターに笑顔で手を振り別れた。

この車で直接ツムクェに行けることになった。私は助手席に二人がけで座らされた。後は荷台になっており、そこにも数人 © 岡部一明

この車で直接ツムクェに行けることになった。私は助手席に二人がけで座らされた。後は荷台になっており、そこにも数人 © 岡部一明

ついに本当の「ツムクェの道」

 しばらく、舗装されたB8号線が続く。周りの風景は、ナミビアに入ったときからほぼ同じ。ずっとサバンナが続いている。サバンナでも木があまりない(乾燥度が高い)サバンナと、ある程度灌木が生えている(乾燥度が低い)サバンナと。

 私は助手席に座らされた。しかし、座席一つのところ2人が座るのだからきつい。後ろは荷台になっているが、出発した時には23人しか乗っていなかった。

サン族の家族を乗せた

 1時間程度乗ると、ツムクェ(さらにボツワナ国境)に向かう砂利道、C44号線への分岐点に着いた。私は当初、ここまで来て、そしてツムクェ行きの車を拾おうと計画していた。車がツムクェ方向に右折すると、そこにヒッチハイクをする家族連れが居た。「サン族だ」とドライバーが言った。私はあわててスマホを取り出してシャッターを切った。なるほど小柄でカラフルな着物を着て人懐こい笑顔を浮かべている。私が、はっきりサン族とわかる人たちを初めて見た記念すべき瞬間。

国道B8号線から右折してツムクェ方面に向かうC44号線との分岐点にさしかかった © 岡部一明

国道B8号線から右折してツムクェ方面に向かうC44号線との分岐点にさしかかった © 岡部一明

車が右折するとすぐ、左手の木陰に人が待っているのが目に入った © 岡部一明

車が右折するとすぐ、左手の木陰に人が待っているのが目に入った © 岡部一明

サン族の家族だった © 岡部一明

サン族の家族だった © 岡部一明

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