「地球号の危機ニュースレター」531号(2024年9月号)を発行しました。

〈アフリカの旅2〉故郷アフリカに帰ってきた

Table Mountain

ナミビアを目指しまずケープタウンに。背景はTable Mountain © 岡部一明

縄文の復権も難しいが…

 しかし、コイサンの起源は遠い。絶滅した民族とさえ言われる状況もある。伝統的なコイサンの人々はナミビア、ボツワナなどカラハリ砂漠の彼方に追われ、コイサンの血を引く人々も普通のアフリカ黒人として多くは都市生活の中に居る。普通にジーパン、Tシャツを着て、おそらくは車も運転し、マグドナルドにも入って暮らしている。

 縄文人の復権と同じだ。バンツー族の人々は弥生人と同じように、農耕文化をともなってやってきた「渡来系」だ。圧倒的に優勢な生産力をもってコイサン族を吸収していった。年代も、ちょうど弥生人が来た頃と同じ2000年前、前後だ。縄文人の子孫たちも表面上は弥生系になり、今ではすっかり近代文明にも染まり、自分たちの文化の何が縄文なのまったく自覚できなくなった。

(農耕・牧畜がはじまると高い食糧生産能力により人口が増える。その多数化した民族と少数のままの民族が出会い、混交が始まれば、長い間には自然と多数民族が表面的には優勢になる。少数民族は、外見上は消滅したかのような形になる。歴史的には、多数民族による少数民族の虐殺もあったろうし、それを過小評価することは許されないが、多くはこうして一方の人口多数化により他方が表面上消え遺伝子の中に痕跡を残すだけとなった。ネアンデルタール人などもこうして消えた。つまり、実際は彼らも我々ホモサピエンスの中に引き継がれているのだ。また、ヨーロッパ人の侵略に会ったアメリカ先住民の歴史で明らかにされているように、未知の病原菌に抗体のなかった人々が感染症で人口を激減させることも大きな要因だった。)

街で観察

 私はコイサン人のコミュニティを体験したい、とこの地に来た。しかし、街でコイサン族とわかる人が歩いているわけではない。失礼ながら人々の顔をしげしげとながめ続けている。コイサン族あるいはモンゴロイド的な面影はないか。そんなじろじろ人を見るのは失礼なのだが、幸いにも、彼らも私の方をじろじろ見る。南アでは東アジア系は珍しい。彼らが私をしげしげと見て、私が彼らを見る。お互い様だ。

 これまで(主にアメリカでだが)黒人の人たちを、モンゴロイド的なところがあるかどうかの関心で見る、などということはなかった。おかしなことをしているわけだ。しかし、そういう気持ちで見ると、似たところがなくもなく見えてくるから不思議だ。いや、気のせいだ。冷静に見れば、彼らはアメリカで見てきた「黒人」の人たちとさほど変わらない。

 しかし、待てよ、ちょっと背が低い。私は165センチだが、同じくらいだ。あまり威圧感を感じない。これまで見知ってきた黒人の人たちは大きかった。コイサン族は男性でも150センチ程度で低身長。南ア黒人たちはコイサンとの混血でその影響を受けたか。いやいや、これも、貧困を強いられている南ア黒人たちの栄養状況が原因かも知れない。実際、南ア白人たちはアメリカの白人同様大きい。…そんなバカげた思考をあれこれめぐらしケープタウンの街を歩いている。

ケープタウンの人々

ケープタウンの人々 © 岡部一明

スラム地域は、道路から見ていてもわかる

スラム地域は、道路から見ていてもわかる © 岡部一明

 余談だが、日本ではあまり顔を上げて歩かない。下を向いて歩く。人と視線を合わせるのを避ける。カリフォルニアくんだりでは会う人ごとに笑顔で「ハーイ」とか言ったり、スーパーのレジ係も「How are you today?」など明るく聞いてくる。日本ではそん風だったら変な人だと思われる。団地などを歩いて少し知っている人とすれ違っても、軽く会釈して(つまり目を合わせず)「ども…」などと言うだけだ。

 が、海外に出てきたら一挙に態度を変える。前を向き、人の顔に目を走らせ、目が合ったらニコッと笑って、時には「ハーイ」とか「ハロー」とか言う。その延長で、南アでは積極的に顔を上げ、すれ違う人たちをよく見て歩いている、というわけだ。あんまり顔を上げてばかりいるので、数日前、下水溝蓋の破損穴に思い切り片足を踏み込んでしまった。痛かった。幸い骨に損傷はなかったが足首と手指に擦り傷を負った。やはり下も見て歩かなければならない。

コイサン・ツーリズム

 さて、縄文人アイデンティティの問題だが、縄文人に返ろうとして、特に、諸外国から訪れる観光客が縄文人に強い関心をもつようになったとしたらどうだろう。各地に縄文博物館を積極的に建て、縄文ツアーなども組織する。普通の旅館でも「縄文ホテル」などの名前にした方が客が入ると判断するかも知れない。自然の中の宿なら「縄文バンガロー」だ。縄文文化体験コーナーをつくり、原始的な衣を着たり半裸になり、怪しげな踊りをしたり、狩猟漁労採集活動の真似事をやったりするかも知れない。

 南ア黒人たちのコイサン復興運動は真剣な希求だ。しかし、そこを訪れた旅行者としては、あるかも知れないこのようなやりすぎにも注意しなければならない。コイサンたちが、素朴なツーリズム産業で生計を立てるのは貴重だし、支援する必要もある。が、コイサンを語る観光経済がきちんと彼らに利益を還元しているのかも見定めなければならない。

コイサンの文化拠点

 いろいろ調査して、ケープタウン近辺で最も信頼できそうなコイサン文化拠点はクワトゥ(!Khwa ttu)であるらしいことがわかった。自らのアイデンティティを回復しようとする南ア黒人たちがコイサンの伝統的な生活・文化を学び習得する場ともなっている。

2005年に撮影されたコイサン族の集落

2005年に撮影されたコイサン族の集落。場所は不明。Photo: ISeeAfrica, Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

車なしでは行けない

 だが、ここに行こうとして次の問題が出てきた。こうした「本物」に行くのが非常に難しい。いや、車があれば簡単なのだろうが、運転もできずレンタカーも借りられない貧乏旅行者には難しい。コイサン族のこうした「生きた博物館」(Living Museum)は遠隔の自然豊かな場所、あるいは半砂漠地帯などにある。クワトゥは比較的ケープタウンから近く(北へ70キロ)、幹線路(R27)沿いにあるのだが、バスも相乗りミニバスも行っていない。タクシーだと何万円するかわからない。自転車で行くにも、慣れない土地で往復140キロは無理だ。

 バス・ターミナルを調べまわって、クワトゥから15キロ東のダーリンまではGolden Arrow Busが行っていることをつきとめた。しかし、1日往復のみ。しかも通勤用のバス便で、朝ケープタウンに来て夕帰るバスだった。逆向きに移動する私には使えない。15キロなら、そこで自転車レンタルして、などと考えたのだが。

 結局、南アでのコイサン探求は不徹底に終わった。課題をコイサン本拠地ナミビアに持ち越すべく、ケープタウンを後にした。

乗り合いミニバス

南アには、どこでも乗り降りできる乗り合いミニバスがたくさん走っているのだが、残念ながらサン族リビング博物館に行く便はなかった © 岡部一明

ケープタウン地域の地図

ケープタウン地域の地図 Map: Nick Roux, Wikimedia Commons, CC BY-SA 1.0 DEED

 

岡部一明

『地球号の危機ニュースレター』
No.530(2024年8月号)

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