なぜ「北」マケドニアか
2022年12月11日、北マケドニアの首都スコピエ(人口55万)に着いた。着いてすぐ、なんだこれは、フェイクか、と思った。マケドニアという国自体に大きな疑問符がついた。
まず、なぜ「北」マケドニアというかというと、1991年の独立時にはマケドニア共和国と言っていたが、ギリシャから文句をつけられた。勝手にマケドニアを名乗るな、と。そりゃそうだ、マケドニアというのはギリシャ北部、特にテッサロニキ付近を中心にした地域だ。
現在の北マケドニア周辺も含まれるが、その辺境であったことは否めない。古代マケドニア人は、ギリシャ語の方言を話すギリシャ人だった。そこからアレキサンドロス大王(紀元前356~同323年)が出てインド北西部に至る大帝国をつくった。
この栄光の帝国祖地名を横取りされったのだから、ギリシャが怒るのも無理もない。日本の市町村名でも、その地域全体を指す著名な地名を、そのはずれの小自治体が名乗ってひんしゅくを買うことがある。
北マケドニアは海なしの小国だ。外との連絡を保ち経済を成立させるにはギリシャを怒らせられない。2019年に国名を「北マケドニア共和国」に変えた。まあそれでギリシャも納得したのではないか。
独立しても多民族国家
多民族国家ユーゴスラビアから抜け出て、1991年、マケドニアという小さい独立国をつくった。長野県と新潟県を合わせたほどの国土で、人口は200万。
それでマケドニア人だけの国になったのかというとそうではなく、マケドニア人は54.21%。他にアルバニア人29.52%、トルコ人3.98%、ロマーニ2.34%、セルビア人1.18%、ボスニア人0.87%、ブラフ人0.44%とかなりの多民族国家だ(2021年、北マケドニア統計局集計)。
これは重要なことだ。複雑に民族が絡み合った地域では、いくら民族自決で独立しても、堂々巡りのようにその小さい独立国にやはり多様な民族が存在し、その共生の課題が継続する。「独立ですべてが解決」、ではないのだ。
マケドニア人はブルガリア人か
そしてさらに、その「マケドニア人」はほとんどブルガリア人だ。マケドニア語とブルガリア語はよく似ており、互いにコミュニケーションが可能だ。
ブルガリア人はマケドニア人のことをブルガリア人だと思っているという。ブルガリア政府もマケドニア語はブルガリア語の方言だとし、こうした問題を盾に北マケドニアのEU加盟に拒否権を発動している。
そのブルガリア人も民族的に言うと、中央アジアからやってきたテュルク系の人々が、6世紀頃からバルカンに大量に入ってきたスラブ系と混血・同化して形成された。現在では「南スラブ系」に分類されている。古代マケドニア人とはかなり異なる人たちと言える。 え、北マケドニアっていったい何なの? と思ってしまった。いろいろ歴史的経緯はあっただろうが、どうしてこんな国が出来たのか。しかも1991年にユーゴスラビアから独立する際、他の旧ユーゴスラビア地域であれほど憎しみの民族間紛争が起こったのに、ここは比較的スムーズに独立を達成した。実に不思議だ。