「地球号の危機ニュースレター」534号(2024年12月号)を発行しました。

(東欧便り)コソボはバルカンの縮図

コソボの首都プリシュティーナの中心となるマザー・テレサ通り。歩行者専用道路になっており、沿道にカフェやレストランが軒を連ねる。

@岡部一明

 本稿執筆時の5月初旬、コーカサス地方のジョージアに居る。昨年11月に、ルーマニアのウクライナ国境まで行き(本誌202212月号参照)、以後ウクライナ周辺を旅し、この地域の複雑な歴史・民族事情を探訪してきた。冬の間、ギリシャ、クレタ島、カイロと南下し、3月に再びイスタンブールまで戻った。この頃までにはウクライナの戦争も終結し、同国に入れると思っていたが、とんでもなかった。依然として周辺の旅を続ける他ない。次は、黒海の東、コーカサス地方を目指すことにした。

 ジョージアは旧ソ連領で、ウクライナと同じようにロシアとの軋轢が存在する。領内の南オセチア、アブハジア地方の独立問題をめぐってロシアの侵攻があり(1996年、2008年)、現在でも両地域はロシア軍の影響下にある。ウクライナ問題は周辺地域の中に位置づけてとらえる必要があるのだ。

 が、コーカサスの話は後にし、とりあえずは昨年末に訪れたコソボ、マケドニアなど、私の旅路に沿った東欧レポートを続けていく。

 セルビアでベオグラード爆撃跡を見た後(本誌2023年3月参照)、その南コソボに向かった。1989年にソ連が解体した跡、バルカン半島では血なまぐさい民族紛争が起こった。その中でもコソボは、セルビアからの独立を求めて激しい戦った。2008年に独立を宣言したが、セルビアをはじめ多くの国がこれを認めていない。戦闘はやんでも両国間の対立は依然として続く。

コソボ入国

 セルビアからこのコソボに入れるのか。まずそこから問題だった。グーグルマップ検索では、公共交通機関はもちろん車でもコソボを迂回して北マケドニアなどに出る順路しか出てこない。しかし、結論的には、ベオグラードからコソボの首都プリシュティーナまで1日数本のバス便があった。11月24日正午発のバスに乗った(プリシュティーナ着午後6時頃、料金15ユーロ=約2200円)。

 遠くにコソボ国境の山並みが見える頃には夕暮れになっていた。道路が次第に悪くなる。国境通過は、外国人にとっては簡単だった。1カ所に停まってドライバーがパスポート類を集め、管理事務所に見せて来るだけ。出国・入国ごとに止まって外に出ることもることもない。

 ただ。不思議なことに、一度パスポート類を集めて検問所に提出し、返却されてからまた集めて提出、と同じプロセスを2回あった。何かの手違いかと思ったが、後で考えると複雑な事情があったかも知れない。現地の人々の中にはセルビア側出国(セルビア政府にとっては単なる自国領内移動)と、コソボ入国の際に別の身分証明書を見せる必要がある人も居たかも知れない。コソボ人のもつコソボ政府発行パスポートはセルビア政府としては認めるわけにはいかないだろう。

 さらにもう一つ不思議なことに、国境通過でパスポートに何のスタンプも押されなかった。セルビアにとってはあくまで国内旅行の位置づけだから出国スタンプを押さないだろうが、コソボ側の「入国」スタンプも押されない。メルダー(Meldar)の国境検問を通ったのだが、そのどこを見てもImmigrationの表示はない。「Financed by EU」というサインだけが目に入る。両国とも非EU加盟国なのに。疑問ばかりが沸く国境通過だった。

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