「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

フランス中がパニック、吸血虫の襲来

photo © 鈴木なお

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鈴木 なお

トコジラミパニック

 フランスでここ数週間、話題を独占している生命体がいる。学名Cimex lectularius、フランス語名punaise de lit、カメムシ目に属する体長5mmほどの虫、トコジラミ(南京虫)だ。

 かなり前のこと、トコジラミがフランス国内のどこかで発生したという話を誰かに聞いた。いつの間にか「どこか」が「パリで」、「南仏で」などと多少具体的になり、新聞やテレビで見聞きするようになった。

 それが最近では、「パリの地下鉄×号線の中で見た」、「×県の×中学校で大発生」、「×市の映画館で刺された」、「我が家に湧いてノイローゼに」など目撃情報や体験談が多数飛び交い、全国紙の一面を飾るまでになった。

 ちなみにインターネットでニュース検索してみると、今年9月に入ってから関連記事の量が急激に増えている。なかには他の虫との見間違えもあるものの、被害が広がっているのは事実で、国中が大騒ぎだ。

 政府は「問題を放置してきた」として厳しい突き上げにあい、12月初旬に関連法案が提出される見通しとなった。

トコジラミ発生は不名誉?

 トコジラミがなぜここまで人々をパニックに陥れるかといえば、就寝中の人間の血を吸うこと、刺されると赤く膨れて異様に痒いこと、昼間は布団の中や壁の隙間に隠れて見えないこと、駆除が極めて難しく大がかりなこと、ねずみ算式に繁殖すること、家に湧いたとなると周囲に白い目で見られがちなこと等々が理由で、無敵ともいえる悪者ぶりなのだ。

 トコジラミ発生と聞けば不衛生が原因だと思いがちで、私も最初そう思っていたが、それは間違いだ。

 何気ない接触によって靴の裏や家具にくっつき、あちこちに運ばれる。そうして知らぬ間に国に、街に、家に入ってくる。いったん家に落ち着かれてしまったら、気付いた時にはもう手遅れだ。太古から存在するこの虫は、日本と同様にフランスでも20世紀後半に入って一度は一掃されたようだが、殺虫剤への耐性獲得などで今再び各地で発生している。

 素人では駆除が難しいため、専門業者は依頼殺到で数週間先まで予約が埋まっており、この嘆かわしい特需に大忙しだ。

 また、業者は「杞憂」への対応にも追われ、「それが本当にトコジラミなのか」を確かめるために訪問前に依頼主に幾つも質問をする必要があり、それにも時間がとられている。

 フランスの食品環境労働衛生安全庁(ANSES)によれば、2017年から2022年にかけてフランスの11%の世帯でトコジラミの被害が発生した。10世帯に1世帯というのは割合としてかなり高いが、周囲に黙っている人も少なくないだろうから実際の数値はもっと高いのかもしれない。ANSESによれば、駆除には1世帯平均866ユーロ(136000円)かかり、2017年以来トコジラミとの闘いにかかった費用は平均で年間23000万ユーロにのぼる。

 また、2019年のトコジラミの医療コストは8300万ユーロで、うち9割以上は精神的なケアに充てられた。不眠や不安といった精神的なインパクトが大きいのがトコジラミ被害の特徴といえる。

痒ゆ痒ゆ地獄に陥る

 新聞に掲載された或る個人被害者の証言は次のようなものだ。「この虫ときたら、ベッドの上で電話しているときにも私の手を登っていくのが見えるのです。部屋にあった家具はみんな捨てました。一晩中体を搔きむしって、本当に地獄です。見てください、皮膚のこのブツブツを。もう耐えられません。背中はフォークで搔いています。漂白剤だのお酢だのお金を使ってありとあらゆるものを試しました。でも結局は業者に頼みました。来てもらうと150ユーロかかります。ただ駆除は一回だけでは済まないので、お金を払ってまた来てもらわないと」。

 この被害者が住んでいるのは地方都市だが、首都圏では50平米のアパートで600ユーロ以上、殺虫効果の高い冷温や高熱での駆除だと軽く1000ユーロ以上かかり、探知犬に繁殖箇所をピンポイントで探してもらうとさらに200ユーロ以上かかる。こんな額を払えない家庭では、ひどい環境の中で泣き暮らすことになりかねない。

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