「地球号の危機ニュースレター」538号(2025年12月号)を発行しました。

〈アフリカの旅9〉先住民サン族自治の仕組み

多くのサン族が住むツムクェ村の中心部 © 岡部一明

多くのサン族が住むツムクェ村の中心部 © 岡部一明

岡部 一明

オチョソンデュパ州ツムクェ選挙区ツムクェ集落

 ナミビア(2023年人口302万)には14の州があり、その一つ、北東部のオチョソンデュパ州(Otjozondjupa Region, 人口22万人)は7つの行政区に別れている。紛らわしいが、この行政区は「選挙区」(Constituency)と呼称されている。この7選挙区の一つがツムクェ選挙区だ。同選挙区の人口は2011年の国勢調査で9,907人、2023年国勢調査で15,357人となっている。ただ、その正確性はやや疑問で、各個別集落の人口も示されていない。一つの推計として、同選挙区の人口9000人のうちサン族が2400人、ツムクェ集落の人口は500人との数字がある。ツムクェ選挙区はサン族の集住地区で、その中心集落ツムクェは「サン族の首都」とも言われる。

(上記ツムクェ集落人口推計は2011年の統計に準じたもので、現在のツムクェ集落人口は500人を超えていると思われる。住んだ感触としては1000人規模にはなっているのではないか。周辺村落の人が簡素な住居をツムクェ集落内に設置して勝手に居住したり、また周辺集落と行き来して暮らしている形態も見られる。サン族主体の周辺村落と違い、ツムクェ集落には一般ナミビア人(バンツー系黒人)も多く住み、ツムクェ集落内でサン族は少数派になっている模様。)

  ナミビアの自治体には市(municipality)、町(town)、村(village)の3種類があるが、ツムクェ選挙区にそれらはない。選挙区行政の中心となるのはツムクェ集落だが、これは正式には村でなく、単なる集落(settlement)だ。公選首長などはおらず州政府直轄の位置づけだ。(ただし、本連載では便宜上これを「ツムクェ村」とも表記する。選挙区も場合により「地区」と表記する。)

 しかし、長年の先住民権利擁護運動の成果として、後述の通り、自然資源保全を目指した保全区(Conservancy)や森林保護のための地域森林区(Community Forest)の別枠の制度を通じて一定の自治が確保されている。ツムクェ選挙区には二つの保全区があり、ツムクェ集落は、そのうちの一つ、ニャエニャエ保全区に囲まれた形で存在する(ただし、ツムクェ集落自体は保全区に含まれず、域外扱い)。ニャエニャエの名称は、この地方の南部域にある雨季に多数の湖が現れる「ニャエニャエ窪地」から来ている。ツムクェ集落は、保全区域外でありながら、その保全区事務所を含め政府、公共機関が立地し、この地域の行政中心の役割を果たす。同保全区内では家族的つながりを基本にした人口2050人のサン族の村が38カ所あり、伝統的自治により運営されている。

ツムクェ村にあるオチョソンデュパ州ツムクェ地区政庁。壁の表示は劣化しているが、「Otjozondjupa Regional Council Tsumkwe Const. Office」(直訳すると、「オチョソンデュパ地方評議会ツムクェ選挙区事務所」)と書いてある © 岡部一明

ツムクェ村にあるオチョソンデュパ州ツムクェ地区政庁。壁の表示は劣化しているが、「Otjozondjupa Regional Council Tsumkwe Const. Office」(直訳すると、「オチョソンデュパ地方評議会ツムクェ選挙区事務所」)と書いてある © 岡部一明

1959年に設立されたツムクェ集落

 「サン族の首都」ツムクェ集落は、ナミビアがまだ南ア統治下にあった時代(19201990年)の1959年に設立された。1969年には南アの人種隔離政策の一環としてツムクェ地区全体がサン族向けのホームランド「ブッシュマンランド」に指定されている。ツムクェ集落が設立される以前はツムクェ地区全体で約250人のサン族ジュホワン人が住むだけだったが、以降、流入が増え、1970年代までに900人のジュホワン人が地方から転居し、ツムクェ集落は過密化・スラム化した。範囲を限定された「ブッシュマンランド」では狩猟採集経済が成り立たたなくなり、政府援助を期待しての流入だったとされる。ジュホワン人の多くが環境変化に耐えられず、アルコール依存症、犯罪など生活の退廃が進んだ。ツムクェ集落は「死の場所」とまで言われるようになる。

ツムクェの村。2008年の空撮。西方向の地平線まで延びる道路はC44号線。その250キロかなたにGrootfonteinの街がある。首都ウィントフックはそこからさらに400キロ南。Photo: David Barrie, flickr, CC BY 2.0

ツムクェの村。2008年の空撮。西方向の地平線まで延びる道路はC44号線。その250キロかなたにGrootfonteinの街がある。首都ウィントフックはそこからさらに400キロ南。Photo: David Barrie, flickr, CC BY 2.0

ジョン・マーシャルの支援活動

 この状況下で1981年、ツムクェの諸問題にかかわってきたアメリカ人人類学者・映画製作者ジョン・マーシャルが、住民が元の集落に戻って自立的な生活ができるよう「牧牛基金」(Cattle Fund)を設立して支援活動を強めた。牧畜・農業などで地域開発を進めるNGO「ジュワ・ブッシュマン開発財団」Ju|Wa Bushman Development Foundation (JBDF)も設立された。現在のナミビア・ニャエニャエ開発財団Nyae Nyae Development Foundation of Namibia (NNDFN)の前身だ。1986年にはこのJBDF支援で、地域住民組織Ju|Wa Farmers’ Unionが設立され、これがニャエニャエ農民協同組合(Nyae Nyae Farmers’ CooperativeNNFC)となり、さらに1998年、本格的な地域的自治組織、ニャエニャエ保全区(Nyae Nyae Conservancy)の設立につながる。

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