〈アフリカの旅8〉サン族伝統村落へサイクリング

遠隔の村にあるサン族屋外博物館 © 岡部一明

遠隔の村にあるサン族屋外博物館 © 岡部一明

岡部 一明

「生きた博物館」

 ナミビアにはコイサン族の「生きた博物館」(Living Museum)がいくつかある。狩猟採集生業を続ける彼らの地域で、その活動を実際に紹介する野外博物館だ。展示もあるが、実際に森を探索したり、狩りをしたり、村の祭りを再現したりして、現在も残るのその文化を紹介する。キャンプ場を併設し、泊まれるようにしたところも多い。(同様のコンセプトの野外博物館はボツワナ、南アなどにもある。)

 サン族の皆が、昔ながらの狩猟採集生活をしているわけではない。現代生活に入ったサン族の人たちも多いことは認識しておく必要がある。しかし、伝統を継承するためにこうした紹介事業を行っている。観光業に生かすことで、金銭所得の限られた彼らのコミュニティの経済活動にもなるし、次世代のコイサン族の若者たちにとって自分たちの文化的背景を学ぶ場ともなる。
 私はさほど、昔ながらのコイサン族を見たいとは思っていなかった。それより、現代社会で困難に直面しながら生きる通常のコイサン族の人たちに会いたいし、その社会に触れたいと思った。だからツムクェの村に滞在し、そこの暮らしを体験できることに大きな意味を見出している。
 それでも1回くらいは、こうした昔ながらの生活を見に行くのもいいし、必要なことだろう、と思い、2024年6月初め、ツムクェの(比較的)近くにある屋外博物館「ジュホアンシ・リビング・ハンターズ博物館」(Living Hunters Museum of the Ju/Hoansi)に出かけた。

 「リビング博物館」はいずれも、遠隔地の辺鄙なところにある。確かに、そうでなければ、現代文明に浸食されていない伝統生活は残されないし、狩猟・採集の対象となる動植物もあまり豊かでなくなる。しかし、車がないバックパッカー旅行者にとっては、そういう所に行くのは非常に困難になる。ツムクェ村までたどり着くのに大いに苦労したと同じ問題にぶつかる。また、「有料ヒッチハイク」しかないだろうと北方向に行く車を探すが、失敗。結局自転車を借りサイクリングで行くことになった。そうなるまでの2日がかりの過程でサン族の人たちとの有益な出会いがあった。まず第1日目の報告。

1日目、有料ヒッチハイクを目指す

 202464日、まず、村の中にある地域振興の団体「ニャエニャエ保全区」(Nyae Nyae Conservancy)の事務所に行き、ミュージアムの情報を得ようとした。あまり情報はなかった。入場料ということで30Nドル(270円)を徴収された。現地でプログラムに参加する費用とは別だという。たまたまこの事務所に行ったから払うことになったが、行かなければ払わずに行ってしまうのではないか。怪。

ニャエニャエ保全区の概要地図。ツムクェから北23キロのところにカホバ集落があり、そこにサン族の野外リビング博物館がある。Map available via CC BY 4.0, in Selma Lendelvo, Helen Suich, John K. E. Mfune, “Stakeholders' Perceptions of the Outcomes of Translocated Eland in Nyae Nyae Conservancy,” Frontiers in Conservation Sciences, May 2022, p.4.

ニャエニャエ保全区の概要地図。ツムクェから北23キロのところにカホバ集落があり、そこにサン族の野外リビング博物館がある。Map available via CC BY 4.0, in Selma Lendelvo, Helen Suich, John K. E. Mfune, “Stakeholders’ Perceptions of the Outcomes of Translocated Eland in Nyae Nyae Conservancy,” Frontiers in Conservation Sciences, May 2022, p.4.

「ニャエニャエ保全区」(Nyae Nyae Conservancy)の事務所。サン族地域の発展につくしてきた団体だ。すぐ右手には、サン族の人たちがつくった民芸品を販売する店舗もあるが、ここしばらく閉まっているという

「ニャエニャエ保全区」(Nyae Nyae Conservancy)の事務所。サン族地域の発展につくしてきた団体だ。すぐ右手には、サン族の人たちがつくった民芸品を販売する店舗もあるが、ここしばらく閉まっているという © 岡部一明

村の十字路から北に延びる道路D3315線。「Living Hunters Museumまで23キロ」という大きな看板がある(左手)。その後ろは村の中学校

村の十字路から北に延びる道路D3315線。「Living Hunters Museumまで23キロ」という大きな看板がある(左手)。その後ろは村の中学校 © 岡部一明

ミュージアム通訳、キャオ君との出会い

 とりあえずは道を北に歩いていけばそのうち車が来るだろう、と歩き始めた。ツムクェ村に来たときと同じく有料ヒッチハイクを試みたわけだ。が、村はずれまできたとき、いや村はずれといっても小さな村だから歩きだしてすぐだが、木陰で休んでいる7、8人の人たちが居た。ん、これはくさい。

 「あのー、もしかして、ハイクをしようとしているんじゃないですか。」

 ナミビアではヒッチハイクのことをハイクという。街はずれである程度の人が固まって何かを待っているようだったら、ハイクのための車を待っている可能性が高い。

「そうだよ。あなたはどこに行くの。」

 ちょうど私がそこに着いたと同じくらいに横方向から着いた男が答えた。皆サン族のようだが、彼は英語を話す。

「ほら、23キロ離れたリビングミュージアムに行くのさ。」
「おお、そうですか。私はそこで働いている。ちょうどそこに行くところだ。毎日4時間働いている。」

 彼はキャオ(Kxao)君といって、40歳くらいの若者(そうさ、70代から見れば40歳は若者。)。実はビレッジに2人居る通訳のうちの一人だという。彼はその通勤先を「ビレッジ」と呼んでいた。「ミュージアム」内にサン族の伝統的な村が展示されているし、その周囲に実際に人々が生活する現在の村がある。

 そういう人とちょうどこの「ハイク」待機場所にほぼ同時に着いたわけだ。

「こりゃ、かなりの偶然。運がいい。」
「そうだね、運がいい。何でも教えてあげるよ。ビレッジにいっしょに行こう。」

 てなことで、いろいろ付き合うことになった。ツムクェの村に住むが、ミュージアム近くの「ビレッジ」にも拠点がある、子どもが5人居て、一番上の子はもう18歳になった、などと話を聞く。

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