「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

ユダヤ人の取り込みに成功したフランスの極右の変容

ユダヤ人の取り込みに成功したフランスの極右の変容

© 佐藤ヒロキ

「極右」とは

 フランスやヨーロッパの極右現象について語る場合に、本来なら「極右とは何か」を明確に定義しておくのが正しい手続きだと思うが、これは私の手に余る。私自身の勉強不足のせいもあるが、根本的な理由は「極右」という言葉の多義性にある。この言葉が指し示す集団は、時代や国により異なる。また、同じ時代の同じ国においても多種多様な集団が極右とみなされている。

 一つ特徴的なのは、「極右」といわれる集団の多くが、自らを「極右」とみなしたり、「極右」だとあからさまに名乗ったりすることは稀だということで、それは、この言葉が批判的あるいは軽蔑的な意味合いを込めて用いられることが圧倒的に多いからだろう。

 対極にある「極左」という言葉でも事情は同じで、「極左」と形容される集団がそれを自認することはめったにない。つまり「極右」というのは一般的に対立する勢力の側から与えられる他称であり、当人たちがその呼び名を拒否することも多いために事態はいっそう複雑になってくる。

 私は一連のエッセーにおいて、フランスの「極右」として、ルペン党首が率いる「国民連合」やゼムール党首が率いる「再征服」などを主に取り上げるが、それはこれらの勢力が一般に世論によって「極右」とみなされているからで、彼ら自身が「極右」を自称したり自認したりしているわけではない。

 もちろん、ある集団が「極右」と呼ばれる場合には、多くの人が漠然とながらも共有している一定のイメージや特徴に対応していることは確かだ。国家主義、民族主義、排外主義、外国人の排斥と差別などがすぐに頭に浮かぶ。

 ただし、こうした特色を帯びていると思われる(ネオ)ナチズムや(ネオ)ファシズムなども極右に含める風潮には疑問も呈されている。ナチズムやファシズムには実際には社会主義的な要素も色濃くあったので、右翼とは言えないだろうというのが理由だ。このあたりの境界線は曖昧で、議論しても切りがない。

 私としては、そこに拘泥することなく、あえて定義を明示しないままに、フランスで一般的に「極右」と言われている集団や運動を対象としてとりあげていくつもりである。上述のとおり「他称」であるのだから、世間が「極右」と名指しする集団が「極右」だと割り切って考えたい。

反ユダヤ主義は欧州極右の共通項

 さて、(ネオ)ナチズムと「極右」の関係は議論の余地があるにせよ、反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)は欧州における極右の共通項のように思われる(この点は、例えば歴史的背景の異なる日本の「極右」などとは大きく違う点だろう)。ホロコースト以後の欧州において、これはまともな政治組織なら倫理的に決して超えてはならない一線であり、逆に言えば、それを超えてしまった、あるいはあえて越えようとする勢力が「極右」と名指しされる、という風にも言えるかも知れない。その場合の「極右」はもはや民主主義国家の政治に参加する資格がないとみなされて、排除されるべきおぞましい対象としての「極右」である。

 例えば、スウェーデンでは現政権に閣外協力する極右政党「スウェーデン民主党」がイスラム教を非民主的、女性差別的、暴力的な宗教だとする批判を展開し、スウェーデンの「イスラム化」を糾弾し、聖典であるコーランの焼却などを伴う激しい反イスラム運動を支持しているために、イスラム世界の強い反発を招き、外交的な軋轢を生み出している。この問題について、連立与党の一角を担う自由党のハミルトン議員は、「スウェーデン民主党」の行動をどこまで許容するのかと問われて、「もしスウェーデン民主党がユダヤ人に対して(イスラム教徒に対してと)同じような言動を始めたら、限度を超えたと考える」と回答した。

 この発言は轟轟の非難を浴びたため、同議員は後で表現が不適切だったと謝罪しているが、私は現代の極右が内包する2つの重要な要素(1つは、反移民と連動する反イスラム主義、もう1つはより伝統的な反ユダヤ主義)の政治的・社会的な位置づけの違いに関する、極めて興味深い発言だと思った。        

 ここで反ユダヤ主義が明確にタブーとされているのに、反イスラム主義は中道右派の政治家によっても許容範囲とみなされていることは、後で述べるフランスの極右とユダヤ人の最近の関係を考える上でも参考になる。

ユダヤ人の取り込みに成功したフランスの極右の変容
@佐藤ヒロキ

「極右」という言葉の歴史は

 それついては、後でより詳しく説明するが、ここで少し回り道をして、「極右」という言葉の歴史をちょっと教科書的(あるいは百科事典的)に振り返ってみよう。この言葉と関連がある「右翼」は、フランス革命期の議会において、王党派が議長からみて右側に集まったことに由来している。逆に「左翼」は議長からみて左側に陣取った急進派を指した。

 これが現在に至る「右翼」と「左翼」の区別の起源であることは、よく知られている。その後、ナポレオン時代を経て、1814年に王政が復活し、1830年まで復古王政期が続いたが、この時期に、議会の最も右側に陣取った「ユルトラ」と呼ばれた超王党派のことを当時の新聞などは「極右」と呼んでいたそうだ。

 つまり、この時期までの「右翼」や「極右」は王党派を意味しており、この勢力はその後に王政復古の可能性が潰えたために次第に衰退した。もちろん「王党派」を名乗る勢力はその後も長く存続したが、実際に王政の復活を目指していたわけではなく、共和制を批判するための方便のようなものになってしまった。従って、復古王政期の「極右」は現在の「極右」には直接には繋がっていないといわれる。

今日の「極右」の源流はドレフュス事件では?

 今日の「極右」の源流はむしろ第3共和制(1870-1940)において、特に1894年に起きた有名なドレフュス事件(ユダヤ人のアルフレド・ドレフュス大尉がドイツに軍事機密情報を渡したというスパイ容疑で逮捕され、いったんは有罪判決を受けたが、その後に冤罪だったことが判明して釈放され、1906年に無罪となった事件で、当時のフランス社会のユダヤ人に対する強い偏見と差別が背景にあった)を機として、ドレフュスを糾弾し、軍部を支持する形で勢いを強めた国家主義者・反ユダヤ主義者に見出すことができる。

 ドレフュス事件のさなかで「アクション・フランセーズ」という組織が結成され、その同名の機関紙『アクション・フランセーズ』を通じて、反議会主義、反共和主義、反ユダヤ主義の論陣を張った。特に『アクション・フランセーズ』を主宰した作家シャルル・モーラス(1868-1952)は当時の代表的な知識人として内外に絶大な影響を及ぼした。

 一般に、「極右」についてフランス人が真っ先に思い浮かべる歴史上の人物や運動はモーラスであり、「アクション・フランセーズ」であって、これが現在の「極右」の原型を形作っているといえる。なお、ドレフュス事件はテオドール・ヘルツルがシオニズムを提唱するきっかけともなった。それほど強烈に反ユダヤ主義・ユダヤ人差別を象徴する事件だったわけだ。

 もちろん「極右」が反ユダヤ主義をもたらしたわけではない。欧州における反ユダヤ主義は基本的にはキリスト教に起因しており、非常に古い歴史がある。「極右」はそうした反ユダヤ主義の流れを受け継いだ勢力の一つに過ぎない。しかし、反ユダヤ主義が今日の「極右」の本質的な要素の一つとみなされていることも確かだ。そのため、欧州各国の「極右」政党がその主張や立場を和らげて、「普通の右派政党」に変身しようと試みる際には、党内の反ユダヤ主義分子を排除しようと躍起になる。

ジャンマリ・ルペン氏と娘のマリーヌ・ルペン氏の違い

 その典型例が、フランスの代表的な極右政党だった「国民戦線」の創始者ジャンマリ・ルペン氏(初代党首)の党からの除名だろう。同氏は、「国民戦線」をマイナーな政党から大統領選挙の決選投票に進出できるほどの大政党に成長させた立役者だ。しかし、娘のマリーヌ・ルペン氏は後継者として「国民戦線」のイメージを和らげ、「普通の右派政党」に変えて支持層をさらに拡大することに邁進。その過程で、反ユダヤ主義的な発言を繰り返して世論の批判を浴び続ける父親のルペン氏は、党のイメージを損ない、マリーヌ・ルペン氏の目指す改革に逆行する邪魔な存在として遠ざけられ、ついに党員資格剥奪、次いで除名の憂き目にあった。

 マリーヌ・ルペン氏は、「国民戦線」を「国民連合」に改称し、現政権やエリート層に不満を抱く庶民層を糾合する形で、高い支持率を得ており、次の大統領選挙での当選も可能とさえ言われているが、こうした立場を確保するには、反ユダヤ主義という尻尾を切り捨てる必要があった。

 その一方で、「国民連合」も、競合の「再征服」も、反移民、特に、イスラム教徒移民とその子孫に対する批判的立場は維持しており、イスラム教の影響力の拡大を警戒している。そもそも「再征服」などは党名自体がかつての「レコンキスタ」に因んでいるのだから、反イスラムの姿勢は明確だ。つまり現代の「極右」は、表向きは反ユダヤ主義の看板をさげて、かわりに反イスラム主義の看板をかかげて、タブー視を回避しているわけだ。

ユダヤ人の取り込みに成功したフランスの極右の変容
@佐藤ヒロキ

ユダヤ人の中でも極右政党を支持する人が増えている

 さて、トカゲの尻尾と同じく、極右政党の反ユダヤ主義もいったんは否認しても、後から復活しそうな印象はあるが、驚くべきことに、最近ではユダヤ人の中でも極右政党を支持する人が増えているらしい。

 私がそのことをはっきりと認識したのは、「これほど多数のフランスのユダヤ人が、ここまで倫理的方向性を見失ったのは前代未聞だ」と題されたジェラール・ミレール氏の9月11日付けのル・モンド紙への投稿だ。ちなみに同氏は、著名な精神分析家ジャック・ラカンの女婿にして後継者でもあるジャックアラン・ミレール氏の弟で、75才。自らも精神分析家であり、さらに、大学教員、映画監督、演劇家、俳優、ジャーナリスト、TVの人気コメンテーターなどとして八面六臂の活動を展開する有名人でもある。

 若い頃には左翼活動家でもあった。今も政治的には明確に左派の立場を取り続けている。なお、ミレール氏の両親はポーランド系ユダヤ人であり、その家族はホロコーストの犠牲になっている。

反移民・反イスラム主義を出して反ユダヤ主義な体質を隠蔽?

 この投稿の中で、同氏は、自分の世代のユダヤ人は、ドレフュス事件、ペタン対独協力政権、ホロコーストなどの記憶を共有し、左派であることが当然と考えていたが、現在のフランスのユダヤ人共同体は分裂し、こうした歴史的記憶を忘却して、歴史修正主義的な立場をとるルペンやゼムールなどが率いる極右勢力に合流することを厭わないユダヤ人が増えていると嘆いている。

 その理由として、アフリカ系移民を中心とするイスラム教徒の反ユダヤ主義による迫害が強まり、多くのユダヤ人が生きにくい思いを味わっており、そのために反移民・反イスラムの立場をとる極右政党に共感しているのだろうと一定の理解を示した上で、極右に対して気を許せば、やがては極右の反ユダヤ主義の復活によってしっぺ返しを食らうと警告している。

 このように現代の極右勢力は、反移民・反イスラム主義を表に出すことで、反ユダヤ主義的な体質を巧みに隠蔽し、ユダヤ人すらも惹きつけることに成功している。

 ユダヤ人にとって、これがミレール氏の指摘するような陥穽になりかねないことも確かだが、イスラム教由来の反ユダヤ主義の影響が極右の伝統的反ユダヤ主義の影響を凌駕してしまったフランス社会の現状において、このような動きが起きることは避けがたいのかも知れない。今後の動向を注意深く見守りたい。

ユダヤ人の取り込みに成功したフランスの極右の変容
@佐藤ヒロキ

佐藤 ヒロキ

フランス在住ライター

『地球号の危機ニュースレター』
No.520(2023年10月号)