「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

いよいよ今年はパリ・オリンピック!  *その5*

© 鈴木なお

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鈴木 なお

 この原稿を書いているのは9月半ばだ。時が経つのはなんて早いのだろう。あっというまにオリンピックが始まり、気付いたらパラリンピックも終わった。新学年がスタートし(フランスでは学年は夏休み後に開始)、休暇で閉まっていた店々が開いた。あれだけ決まらなかった首相も、選ばれた。そうこうしている間に秋風が吹き、日がどんどん短くなってきた。

振り返ると後悔の念

 今年はせっかくここまでパリ・オリンピックについて書いてきたので、大会が終わった今、この夏を振り返ってみようと思う。一番の感想は、「なんだか損してしまった」である。どういうことかというと、不幸な大会になると身構えていたのに、完全なる杞憂に終わり、拍子抜けしたということだ。メディアでは開催前あれほどまでに批判、警告、悲壮感が溢れていたのに、始まってみれば大活躍や大感動の報道一色で、手のひら返しに驚いた。開催前は、「パリにいたらテロが起きて死ぬ」ことがほぼ決定だったのに。「大会は失敗して赤っ恥をかく」ことが確定していたのに。

 ふたを開ければ首都は平和で天気も良く、大会は日々盛り上がり、パリを離れた自分がまるでひねくれた世捨て人のように感じた。ウデア=カステラ・スポーツ大臣が大会後、「過ぎた批判報道のせいで大会中にパリを離れ、オリンピックを楽しむきっかけを逸した人たちが気の毒だった」とどこかのインタビューで言っていたが、それは私のことかしら?という印象だ。家族や友人でパリに残った人たちは、十二分に大会を楽しんだ。何人かは競技を見に行って大フィーバーだった。パリ最大のファンゾーン「クラブ・フランス」へ行ってフランス人選手らの登場に大はしゃぎした人もいた。暗い報道を真に受けてかなりの数の人間がパリを離れてしまったので、地下鉄も道もすいていて、爽快な気分だったという。

大会成功…、さて、今後はどうする

 パリ・オリンピックとパラリンピックが終わった途端、大会中に3つの大きなテロ計画が阻止されていたことが当局により明らかにされた。1つ目の計画は南東部サンテティエンヌ市の競技場周辺のバーがターゲット、2つ目はパリのイスラエル関連施設がターゲット、3つ目はボルドー周辺に住む2人組がオリンピック中にアクションを起こそうとしていたものと報道された。計画に携わっていた人物は全員取り調べを受け、現在は刑務所に収容されているという。また、7月26日、オリンピック開会式当日の早朝、国鉄SNCFの線路三か所でケーブルが放火されたりする同時妨害事件が発生した。当初はテロかと思われたが、どうもそうではなく、オリンピックを資本主義と結び付けて憎悪する極左系グループの仕業の疑いが出ている。

 鉄道妨害事件で「ほらやっぱり危ない」という空気に一旦ぐっと傾きかけたが、この朝を限りに我々一般市民は大会中を通して不穏な空気を感じることは一切なかった。オリンピック開会式は大雨で、パラリンピック閉会式も大雨だったが、その間は好天の日も多く、何よりもオリンピック・パラリンピックともにえらい盛り上がりを見せ、社会全体が前向きで明るかった。加えて地下鉄などが定時で来ることが多く、車内も明るくきれいな感じで、駅にフレッシュなスタッフも多く配置され、「しょっちゅう遅れる電車」、「気分が悪くなるほど汚れた車内」、「仏頂面の駅員」などに慣らされているパリ市民たちには嬉しい驚きとなった。しかもあちこちに警察や憲兵隊がいたためか、街の治安が極めて良く、市民の間ではこれを機に生活が変わるのでは!?と今後に期待する声が大だ。しかし、そこはなかなか確約されないようで、労組たちはさっそく「大会中は特別体制だった。この状態を保つには大きな予算が必要だ」と賃上げや大量雇用へ向けて圧力をかけている。

© 鈴木なお

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久々に良きフランスを見た

 そのような感じで、地元での開催にかかわらず、もっぱらテレビ観戦だった私。いろいろな感動、発見があったが、個人的に一番印象に残ったのは726日夜にセーヌ川上で繰り広げられたオリンピック開会式だった。テレビで見ていて、「やはりフランスはすごい」と心から思ったからだ。フランス愛が強い人たちには申し訳ないが、私はフランスに対する思い入れが薄い。仏文科でもなければアート系でも料理人でもなく、フランスとは一切関係のない環境で育った人間で、まったくの偶然からこの地に住んでいる。最初からフランス人の真ん中に入って暮らしたので、この国の理不尽さやいい加減さを嫌というほど経験し、傷つき、泣いた。そしてかなり、恨んだ。長く住み、長所もわかってはいるが、どうにも諸手をあげて賛美できない。だが、開会式には「フランスの良さ」が詰まっていた。久しぶりにこの国に感動した。

 何を置いても、あの開会式をやらせたということがすごいと思う。轟轟たる批判や横やりを恐れず、上は責任をとり、任された者は自由に発想し、思い切って実現する。国の威信がかかった世界の舞台でこれをやる。日本ではあり得ないと思うので、羨ましくさえ感じた。そして、行動にビジョンがある。笑いをとるとか、先端技術をふんだんにとか、そういうものではなく、国の持つ歴史や文化、自由や平等、女性解放、多様性、インクルージョンといった精神性を一つの壮大なイベントとしてまとめあげ、見せ、訴える、というビジョンだ。つまり、一本筋の通ったメッセージがある。芸術監督を務めたトマ・ジョリ氏が標榜したのは、「多様性と他者性」だ。

 結果、式中にドラァグクイーンらが聖書の一場面を思わせるような構図で行ったパフォーマンスに対して、キリスト教関係者などから批判が集まった。SNS上では同性愛者であるジョリ氏自身への中傷や脅迫も殺到した。以前は個人がテレビの前で、あるいは友人たちと内輪でつぶやいていた批判や不満が、今は世界を飛び交い当事者まで届く。厄介なことだ。しかし、多くの人間が賞賛もした。私もその一人だ。歴史を背負った建物やセーヌ川を使っての空間性と主張とに溢れた美しいショーは、そう簡単につくり上げることはできない。ものすごい想像力と努力だ。フランス風に言えば、まさに「シャポー!(帽子のこと。つまり脱帽の意味)」だ。

 自分たちもれっきとしたフランス人でありながらその自覚を持てず、白人系フランス人たちのことを「彼らフランス人は」と話す移民系の国民も、私と同じように感じただろうか。フランス社会や受けて来た教育と折り合いがつき、溜飲が下がる - そんな大会だっただろうか。もしそうなら、まさにパリにオリンピックを迎えた目的は果たせたというところだろう。

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鈴木 なお

フランス在住

『地球号の危機ニュースレター』
No.532(2024年10月号)