湯木 恵美
世の中の作家さん方は高確率で猫と暮らしている(暮らしていた)と私は思います。
好きな作家のエッセイには、決まって猫が出てくるし、何かのインタビューでは、猫を語っていらっしゃる。
直木賞作家の小池真理子さん、林真理子さん、村山由佳さん、角田光代さん、東野圭吾さん。猫好きの作家さんは、直木賞を受賞する!そう言っても過言ではないと思えてしまうほどです。
どんなに狭いゲートでもくぐりぬけ、どんなに狭い所にも入り込む彼らのことを、猫ボランティアの私たちは「猫は液体」と言っています。脱走をさせないための注意喚起の言葉なのですが、まさにその通りで、人の心の中にだって入り込み、忘れなくさせてしまう力をもっているのだから凄い。どんな魔法を使っているのか教えて欲しいものです。
人の心の奥底のわずかな動きや、見えない真実を表現する作家さんの心は、猫にとって居心地が良いのか、寄り添うようにそばにいるあのしなやかな物体は作品を書き続ける作家にとっても、居心地の良いものなのか、とにかく猫と作家は切っても切れない縁があるようです。
沢山の事情がある猫たちと数え切れないほど関わってきたんだからとの自負の上で、生意気な思いを綴ることが許されるとしたら、私には、作家さんの猫に対する表現によって、本質的な関わり方が見えるような気がします。もちろん、そうそうたる作家さん方ですから、地団駄踏むほど素晴らしい表現です。どうやればこんな言葉が出てくるのだろう?
私も猫になって心の隙間に入り込みたい。 素晴らしすぎるからこそ、はっきりとした人としての傾向が垣間見られます。
自分の家の子だけを、本当の自分の家族として愛することを表現する方。相棒のように、対等な表現をなさる方。そこに居るのが当然で、季節の花の移ろいのように愛でる方と、様々です。
小池真理子さんの書かれた日経新聞夕刊のエッセイの中には、大雪警報が出た少し前のある日、ずっと見守り続けてきた年老いた外猫が、最後の挨拶に来たと言う文章がありました。家の中の猫とも暮らし、通ってくる外猫たちには不妊化手術を施し、餌をやっていると書かれていましたが、見守っている人にしかわからない、最後と思われる挨拶は、とても寂しく、悩むところだったと思います。
場合にもよりますが、私は慣れていない外猫を、無理矢理捕まえて治療すると言うことが必ずしも良いとは思っていません。それでもやっぱり悩みます。答えはいつも出ませんが。
小池真理子さんのエッセイには、別れの挨拶に敬意を抱きつつ見送る場面が綴られていました。その情景は私も確かに見たことがありました。長い間、時間を共にした命が、挨拶に来てくれて、もう会えないことを教えてくれる。尊いことだと思っています。
それにしても作家さんはどうしてこんなに猫と繫るのでしょうか? そして私のイメージは、パソコンや原稿用紙の隣に珈琲が置いてある。文章作家だけではなく、人が何かを突き詰める時、珈琲の香りも必須だと、こちらも私の持論です。
猫と、本と、珈琲と。 遮断された自分の好きな空間の中に、この3つがあれば、もうそこは別世界。私にとってはパラダイスです。ずっとそこに居てしまう。
こんな思いはずいぶん前から持っていました。 それを公に表現できたら、どんなに良いだろうかとも考えていました。
昔から大好きだった地元の本屋さんがあります。大きな本屋さんだったのですが、規模を縮小して、小さいけれど昔ながらの文芸書を取扱ったスタイルは変わらずにいてくれます。
更に、この本屋さんの本を、そのまま持ち込んで読ませてくれるコーヒーショップが隣接されています。
この夏、こちらで猫の絵の展覧会が開催されています。焙煎からこだわった珈琲と、本が読める猫展。猫好きのオーナーのお店で、猫好きの画家さん5名による展覧会は、こちらもまた、それぞれの想いが、作品に表現されています。
「猫と本と珈琲と」 想像を具現化するのって、なんだか楽しいと思っている今年の夏です。
湯木恵美
『地球号の危機ニュースレター』
No.530(2024年8月号)