チトーの独自路線
終わってみると、過酷な専制と大量の粛清犠牲者の記憶が残るだけの20世紀社会主義だったが、貴重な試みもなくはなかった。ユーゴスラビアの自主管理社会主義はその中でも最も貴重なものだったのではないか。ソ連型集権社会主義とは異なる別の社会主義を模索した。
この地では、第一次大戦後の1918年、セルビア人主導の「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が成立していた(1929年にユーゴスラビア王国に改称)。「ユーゴスラビア」とは「南スラブ人の国」の意だ。第二次大戦中はチトーに率いられたパルチザンがファシスト勢力と戦い、戦後の1946年、ユーゴスラビア王国領を引き継ぐ形で「ユーゴスラビア連邦人民共和国」を成立させた(1963年に「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」に改称)。ソ連軍に「解放」された他の東欧諸国と違い独自の抵抗組織が主力となったことでユーゴスラビアのソ連に対する自主性が確保されたと思われる。
スターリンとチトーの路線対立から、1948年にユーゴはコミンフォルム(ソ連を中心とした国際共産主義運動体)から除名される。翌年にはソ連との友好相互援助条約も破棄された。スターリンは何度もチトーの暗殺やクーデターを画策したが失敗。スターリン没後の1955年にチトーを訪問したフルシチョフはスターリンによる暗殺企図を謝罪したという(Daily Mail, July 18, 2012)。「うちのスターリンがあんたを殺そうとして悪かった」と言ったのだと私は理解する。 ソ連を中心とした軍事同盟、ワルシャワ条約機構には入らず、アメリカからのマーシャル・プランを受け入れ、ギリシャやトルコとの軍事協定バルカン三国同盟を結んで北大西洋条約機構(NATO)に近づいたりした。エジプト、インド、中国などともに非同盟主義の旗手となり、1961年に第1回非同盟諸国首脳会議をベオグラードで主催した。
ユーゴ自主管理社会主義
経済面では市場経済を積極的に導入するとともに、工場の労働者による自主管理(「工場を労働者の手に」)を導入した。1950年に、人民議会が「自主管理法」を可決。それを確認する新憲法が1953年に制定された。1950年から1990年まで40年間にわたり、自主管理社会主義というユニークな制度が全国レベルで実験されることになった。
自主管理社会主義では、まず企業内において従業員が選挙で選ぶ「労働者評議会」が組織され、これが経営主体になる。企業の合併や分割など基本的事項について全員の投票で決定がなされる。企業の長(社長)も選挙で選ばれる。経営成果(利益)の配分も労働者評議会が決める。再投資に回す分、共同的な消費に回す分、個人所得に回す分(給与)などを決め、従業員個々人への分配額も自主管理で決められる。法的な所有形態としては国有を止め、しかし私有でもなく、定義が難しいが、労働組織など社会法人が担い手となる「社会的所有」とした。
ソ連の社会主義は、労働者の国をつくったと言いながら、工場は国有で計画は上から。その経営は国のテクノクラートが担った。「工場を労働者の手に」を実際に行う仕組みがなかったことになる。あるいはまた、資本主義社会でも、民主主義と人権を中心的価値として国政や地方自治では民主主義になっているが、一歩工場の中に入れば経営者による命令経済であり、そこに民主主義はない。ここに従業員による民主制を導入するのはむしろ民主主義国家として当然のことも言える。
資本主義内の自主管理制度
「資本主義」諸国内でも、一定程度自主管理制度の試みはある。有名なのはスペイン・バスク地方のモンドラゴン協同組合だ。製造業,金融,サービス,消費,農業、ITなど95事業体、15研究開発施設、従業員8万人で労働者による所有、意思決定、利潤分配への参加を確保している。1956年に発足し、現在ではバスク地方最大、スペインでも10位の「企業」に成長している。ここまでいかなくとも各国に民間の自主管理事業の試みは多数あり、日本でも生協運動、倒産会社の労組、高齢者雇用などから労働者協同組合、ワーカーズコレクティブの試みが生まれている。2021年にはこうした試に法的枠組みを与える「労働者協同組合法」が成立した。
ドイツ/西ドイツでは、1951年に石炭,鉄鋼産業を皮切りに、資本家と労働者が共同で意思決定を行う監査役会、さらに「経営協議会」などの経営参加制度ができた。スウェーデンは、労働組合の団体交渉権拡大での共同決定制を1983年に法制化。企業利潤の一部を拠出してつくられる全国的な労働者基金が株式買収で企業コントロールを行なう制度もある。
EU圏諸国ではその他にも様々な経営参加制度が存在し、従業員代表(employee representation)の制度が拡大している。元締めとなるEU法でも、細かい規定は避けながらも、労働者に配慮した「集団的労働関係」を求めている。加盟国内では、労組を主体とした「シングル・チャンネル」と、労組とは別に従業員代表の制度をつくる「デュアル・チャンネル」の二種類の制度づくりがあり、労働側への情報提供・労使協議が行われている。
EU法の「集団的整理解雇指令30」は、集団的整理解雇の際に労働者代表と協議することを定めているが、これにのっとり、IT大手グーグルもこの3月、同社初の「欧州労使協議会」(EWC)を設置する協定に合意した。従業員が多いEU非加盟の英国とスイスも対象になる(UAI Global Union, March 23, 2023)。
資本主義の牙城、米国でも、労働者による資本所有の試みが進んでいる。1974年税法改正でつくられた「従業員株所有プラン」(ESOP)を行なう企業が6,232社あり、その下で1010万人が働いている。
労働者の所有株式総額は1兆6000万ドルに上る(NCEO, Feb. 2023)。企業が買い付けた自社株式が退職・年金給付として配分される形。自社株の過半あるいはすべてを従業員所有にまわすことも可能。 最大のESOP企業はパブリックス・スーパーマーケットで、米南東部を中心に1322店舗、従業員24万人を有する(フロリダ州ではシェア6割)。ESOP企業のうち少なくとも465企業(従業員6,454人)が1人1票の労働者協同組合企業(worker cooperative)となっている。
ESOP類似の制度はイギリス、アイルランド、オーストラリアなどにもある。
自主管理社会主義はなぜ失敗したか
こうした中でユーゴ社会主義は、国家レベルで40年にわたり自主管理制度を実践してきた試みとして貴重だ。しかし、連邦崩壊と民族紛争の地獄の中で、自主管理社会主義も吹っ飛んでしまった。貴重なこの試みはなぜ失敗したのか。
足掛け10年近くユーゴに滞在し、毎年のようにこの国を訪問して観察し続けた徳永彰作は、「労働者仲間同士の慣れあい経営に甘んじていた自主管理」に突然市場の自由化がやってきて打撃を受ける様を報告している( 『札幌大学教養部教育研究』1990年1月15日)。
労働者が労働条件も自分たちで決められるので、就業時間内を漫然と過ごし、あるいは終業を午後3時に決めるなどして、時間外の副業に精を出す姿も広く見られたという。15年にわたるユーゴ研究を叢書『ユーゴ労働者自主管理の挑戦と崩壊』(滋賀大学経済学部、1994年)にまとめた藤村博之は、その最後の方で、市場経済の中での厳しい経営判断を、プロではない労働者の評議会に任せたことが失敗だったと論じている。企業長が居ても、多くて週1回程度の労働者評議会の決定を待たなければ何もできない体制では機能しない。
役割分担を明確にして、労働者評議会は企業長の行う経営をチェックする役割に徹すべきだったとする。この分野の代表的研究者の一人、岩田昌征は失敗の原因を、一律に平板的に自主管理を実行したこと、ブルーカラーを優位に置く「原始的社会主義」があったことなど計5項目を挙げた上で、次のように言っている。
「さらに究極の原因は、ユーゴスラビア共産主義者同盟の一党支配体制にある。共産主義者同盟という社会に超然するマルクス・レーニン主義的権力主体が労働者自主管理を要(かなめ)とする諸制度をデザインして、社会の外から社会のなかへ押し入れる形で、すなわち党社会主義として自主管理社会主義は誕生した。ここに労働者自主管理のデザイン主義的な非自主的・非自生的な成立という矛盾と無理が認められる。」(岩田昌征「労働者自主管理」『日本大百科全書』)