「地球号の危機ニュースレター」537号(2025年6月号)を発行しました。

〈アフリカの旅7〉ツムクェでの暮らしが始まる

村一番のお店の前には多くの村人たちが集まる © 岡部一明

村一番のお店の前には多くの村人たちが集まる © 岡部一明

村の電力は太陽光発電で

 途上国ではよく停電がある。ツムクェのような「奥地」では、昼の相当時間電気が止まるのを覚悟していたが、意外と順調で電気で困ることはまずなかった。

 宿の近くに太陽光発電所があった。2011年に建設されたもので、当時としてはアフリカ最大のハイブリッド型(太陽光・ディーゼル)発電所だったという。昼は太陽光(200 kWp)、夜は火力(ディーゼル)で発電(300 kW)する。

 何百キロもサバンナの中を送電線を引いてくるのはコストがかかるし、雲さえない快晴が続くこの地では太陽光発電は最適のエネルギー源だ。2021年には、最大の電力消費施設である中学校に26 kWpの太陽光発電を取り付け、ピーク時負荷削減をはかったという。

 朝と夕に定期的に短い停電がある。太陽光とディーゼルを切り替える際に一時切れるようだ。デスクトップパソコンなどを使っていると大変なことになるが、今どき、人々はノートパソコンやスマホを使っているだろう。遠隔のサン族集落でも、人々はスマホで通信しあっている。

村の南部にある太陽光発電所。宿に近かった © 岡部一明

村の南部にある太陽光発電所。宿に近かった © 岡部一明

サン族の人たち、第一印象

 サン族の人たちに接して最初に感じた印象は、日本人に似ているな、ということだ。何というか、その人と接するときの感覚、はにかむようなウェットな感受性が日本人に近い。優しいし愛着の持てる性格だ。写真で見る通り、顔もアジア系と少し近いだろう。あくまでも「黒人」と言えるが、私が子どもの頃、田舎で見ていたおじちゃん、おばちゃん、野外で長く農作業をしていた人たちの顔も日焼けして黒びかりしていた。この村の人々が都会に出て洗練されたインテリの生活を始めれば、増々現代日本人に似てくるだろう。

 この「感覚」が今の段階では重要だ。東アジア系のふるーい先祖なんじゃないか、と人類学・遺伝子研究を読みながら感じていたことを、現地で確かめたかった。そこで実際に彼らと会ってどう感じるか、それをとりあえずの課題にして来た。実際、日本人に近い。それが第一印象。むろんそれで系統分析の何らかの証拠にもなることはまったくないが、まずは来て感じてみたい、ということの結果はそれだった。

 さらに体が小さい。男性で150センチくらいで、現代日本人よりも小さい。日本人・アジア系も欧米系、黒人に比べれば小さいが、そういう面でも似ている。彼らは体力的に他の黒人より弱いので、それもあって徐々に大陸の遠隔地に追いやられてきたのではないか。「極東」の隅にまで追いやられてきた日本人とも何やら似たところがあって、共感できる。

 彼らは現在貧しく、栄養がよくない。飢えがなくなっていけば、体はもっと大きくなるだろう。日本人も江戸時代には男性150センチ程度だったと聞く。今は栄養がよくなったので大きくなった。

 そもそも、小さい体というのは、進化上優れた形質だ。食料資源が限られる中、コミュニティが成立する一定人口を確保しようとしたら、個々人の体を小さくするのが適応的進化だ。それで生存可能性が高まる。熱帯雨林に生活するピグミーと呼ばれる人たちもそれで進化を遂げたのだと思う。動物でも、狭い島嶼などに適応した種は小さくなるようだ。

 闘いに明け暮れ、他を滅ぼして自分たちがのし上がる秩序に居る種では、体は大きく頑強になるだろうが、平和で共生的な繁栄を図る種では体は小さくなる。(ということはつまり、どんどん体が大きくなる現代人は、たとえ肉体的な戦いはあまりなくとも、何らかの弱肉強食の原理の中で生きている可能性がある。)

 サン族で宿主の自治体職員リコロさん、サン族リビング博物館の後述キャオ君やダム君、コイコイ系ナマ族のロッジ従業員ネルソン君など、すぐに近しい関係になることができた。特に意識していたわけではない。後で振り返ると、何かいきなり親しい関係になったな、という感じだ。異国で同胞に会ったような感覚、とでも言おうか。

 つまり、やはり同じモンゴロイド?として何か感じるものがある。何か近しいもの、過去のふるーい関係がどこかにあるに違いないと感じられる。アフロ・ユーラシア大陸塊の両端で、たまたまま蒙古ひだ(内眼角贅皮、epicanthic foldと呼ばれるまぶたの形)を発達させたから似ているように見えるだけだ、という論には組みせない。モンゴロイドの特徴はそんな目つきだけで決まるものではない。同じ(?)モンゴロイドとして「似ている」というのを直感的に感じるし、その感覚を今は大切にしたい。

見分けられるようになった

 サン族と他の黒人(この辺ではヘレロ族やナミビア主要民族のオバンボ族などのバンツー系)の違いが分かるようになった。いや、そんなに難しいことではない。サン族の人たちは小さい。カラフルな伝統衣装を着ている。しかもそのきれいなはずの民族衣装が何週間も洗ってないかのように汚れ、よれよれになっている。

 これに対し、バンツー系の人たちは大きい。アメリカで見てきた黒人たちと同じだ。南アの黒人よりも大きいように感じる。南ア黒人はコサ族をはじめコイサン系との混血で身長も低めになったのではないか。ナミビアでは混血はあまり進まなかったか。ヘレロ族、オバンボ族などバンツー系は歴史的に西アフリカ起源で、北部ナミビア地域には1617世紀に移動してきている。

バンツー系の人たちは大きいだけでなく活力がある。いろいろ商売をしているのも、車に乗っているのも彼らだ。Tシャツやジーパンなど現代風の衣服を着ている。サン族が貧困層なのに対して、バンツー系は中産階級という感じだ。

 ツムクェで観察していると、店の中に入って買い物をしているのがバンツー系で、その外にたむろして、出てくる買い物客に「私にもパンをくれ」などとねだっているのがサン族の人たちだったりする。むろん例外もあるが、そういうパターンが多すぎる。確かにサン族の人たちは、新しい現代風の生活に慣れるのが遅かった分、貧しい生活を余儀なくされているだろう。同じモンゴロイドとして?何とかもっとがんばってほしい、と思ってしまう。

夕暮れ時、学校帰りの子どもたち © 岡部一明

夕暮れ時、学校帰りの子どもたち © 岡部一明

頻繁に挨拶をかわす

 ツムクェでは人に会えば皆挨拶しあう。私も笑顔で元気よく「ハロー」「ハロー」を続けるのだが、何だか子どもとあいさつしていることが多くなった。考えてみればあたりまえだ。ナミビアはまだピラミッド型の年齢人口構造で、子どもが圧倒的に多いのだ。

 子どもたちは皆愛嬌がよい。最初は、怖いものでも見るように私を見ているが、こっちが明るく「ハロー」「ハロー」と言ってやると、彼らもにっこり笑って返してくる。

 しかし、「ハロー」「ハロー」に「マネー」「マネー」と返してくる集団もあって愕然とする。カネくれ、と言うのだ。根性を徹底的に叩き直さなければだめだ、と思うが、考えてみれば、私たちの世代のちょっと上のお兄さんたちも、外国人を見れば「ギブミー・チョコレート」と言ってまわっていたのだったが。

 

岡部一明

『地球号の危機ニュースレター』
No.537(2025年6月号)

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