「地球号の危機ニュースレター」533号(2024年11月号)を発行しました。

彼女と虫と夏の思い出2024

© 湯木恵美

© 湯木恵美

湯木 恵美

 夏休みに帰省した友人とお昼を食べた。たまにしか会えないけれど、私は彼女の感性が好きで、会えることをいつも楽しみにしている。

 お昼を食べ始めて、少ししたらハエが一匹しつこく私たちのテーブルにやってきた。

 払っても払ってもどこにも行かない。最初は話題にもせず無視していたのだけれど、ついつい私が「なかなか気に入られたもんだね」などと言った事がきっかけで、話題は虫の話に移行した。

 小学校の教師である彼女は、虫の存在にいちいち大騒ぎする今の子どもたちに愁でいた。 「野外給食ってあるじゃん? 外でお弁当食べるって事は、ただ気持ち良いだけではなく、外ならではの体験ができるからなんだけど、トンボにもバッタにも大騒ぎで、イモムシなんかがいたらご飯どころではなくなるんだよ」

そりゃあ、虫が苦手な子どももいるだろうにと私は思うのだけれど、そんな言い訳が成り立たない程、自然界に存在する生物を受け入れられない傾向にあると、彼女は言った。それは、コロナでいろんな事に触れたり体験をする大切な時期に、外に出られなかった事も影響しているのではないかと分析している。確かに、あの2年半ほどの期間は、成長過程の子どもたちにとって、大人の数倍もの長さに値する重要な期間であったかもしれない。

 それにしても彼女の虫に対する愛は止まらない。「ただ、そこで生きてるだけなのに、悪い物をみるような騒ぎをするのは、虫に失礼だ。蜂は、攻撃する事もあるから、子どもに注意させなくてはいけないけれど、トンボなんて、何にも悪さをしてこないのに」悲しそうに語る。「みんなが綺麗だと言うアゲハ蝶の幼虫は芋虫なのにどうして嫌なんだろう? 私は可愛くてずっと撫でていたい。でも加減が大事だね。本当に優しく、そっと触らないと負荷がかかりすぎて、弱らせてしまうの。蜘蛛も良い! 家の中に入ってきたらこんにちはって挨拶するんだよ。人に良くない虫を食べてくれる、ありがたいじゃない!」

 彼女の話は止まらないが、私は高校時代のトンボが苦手な同級生のことを思い出していた。その同級生がトンボ嫌いだと言うことを知っていながら、死んだトンボが窓枠にいるのを見つけ、紙に包んで、授業中その子に届くように回してもらった。〇〇へと書いて隣の席の人に渡す。それは少しずつ回って、宛名のところに届くシステムがありよくやっていたのだけど、あの時も先生に見つからず、正確に届いた。受取人の同級生はそれを開いた途端に大声を出し、差出人である私は先生にものすごく叱られた。自業自得だ。された側は今でもはっきり覚えていて、先日も私は責められた。申し訳ない。

 だから虫嫌いな子どもがいる事もよく分かるが、熱く語る彼女の真意がそこだけにあるわけではない事も想像が付く。

 SNSの進化で簡単に情報が入り、経験しなくても経験したような気になる。何でも知っているような気にもなる。けれどそれは知識であって、経験ではない。経験ではないものは、どんなに語ってもズレが生じる。

 例えば野外でのお弁当、気持ちの良い風、開放感、緑の木々、そんなことを想像しても、実際に座った時の地面の硬さ、凸凹感。それならば、柔らかい草の上は良いかと言えば、思った以上の湿り気に驚くことがある。無数にいる昆虫。目を凝らして良く見ると、テンの様に小さな虫が、レジャーシートに這い上がってくる。虫の側に言わせたら、何の前触れもなくやってきた侵入者に戸惑っているのか、もしかしたら歓迎してくれているのかも知れない。そこは全くわからないけれど。

 そんなことを考えていたら、子どもの頃の風景が次々と蘇ってきた。

 映画のワンシーンの如く、背の高い夏草の中にダイブしたことがあった。けれど柔らかそうに見えたのは草の表面だけで、土に近い茎は硬く、あいにく草に隠れて石もあり、擦り傷を超えた怪我をしたことがある。稲もそう。土手に立ち、稲のクッションを期待して、背中から倒れ込んだ。どれもこれも、テレビや映画で観たシーンだ。気持ち良さそうに、空を仰いで寝転がるはずだった。そして農家のおじさんに叱られる場面。しかしこちらも想像していたのとは全く違って、まだ青い稲は私を少しも支えてはくれずに、雨上がりの田んぼの土にまみれる事となった。けれど、さすが田んぼ!石もなく怪我をする事はなかった。あの時、スローモーションのように飛び跳ねる泥と一緒に、かえるや、黒っぽいバッタのような虫が飛び散った。泥人間と化したあの日、空には沢山のトンボが飛んでいた。

 久しぶりの友人とのランチで、まさか虫の話でこんなに盛り上がると思わなかった。おかげで、幼少期の夏の自分も思い出せた。なかなかいつも、くだらないことばかりしていたと感心する。けれど、あの幼少期のどうでもいい体験は、私に想像する力を与えてくれたと思っている。体にまとわりつく感覚、痛み、匂い。どれもはっきり思い出す。他人の畑を走り回り、肥溜めに落ちた事は特に忘れられない。川で100回位足を洗った。ほとんど見なくなったけれど、肥溜めは今でも怖い。

 彼女は本当に良い教育者だと思う。何よりいつも落ち着いていて、公平な分析力を持っていると尊敬している。無意識であってもやってしまいがちな差別をしない。しれーっとしながら、その実、熱心に頑張り続けているのだけれど、きっと頑張る事を辞めたい時もあると思う。

 彼女は、映画監督の新海誠さんと同じ高校を卒業していて、同じ学年だから高校時代の新海監督を良く覚えていた。私はつい、100%の興味で聞いてしまう。私にとっての新海誠さんは、同郷と言う事しか繋がりはないけれど、有名人に対して知っている人から話を聞けるのは楽しい。

 そんなこんなで、虫のことから、新海誠監督の高校生時代の話で散々盛り上がった後、彼女は言った。

「新海監督の作品は、必ず見るようにしている。別に仲が良かったとか、今も繋がりがあるとか言うわけではないし、連絡するわけでもないけれど、やっぱり誇りに思うし、気になるから。それでね、物語が終わり、テロップが流れて、最後に、監督 新海誠って出た時、すごく嬉しくなる。私も明日から頑張ろうって思うの」と。これには、正直泣きそうになった。今、振り返っても泣きそうになる。すごくその感覚がわかるから。  

 誰だって大変な事はあるけれど、あの人も頑張ってるから、私も頑張ろうって思うことがある。知人の成功が、自分のことのように嬉しくて、活力をもらえることもある。

 彼女とは、次はいつ会えるかわからないけれど、私も負けないように頑張っていたいと思わせてもらえた。

© 湯木恵美

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湯木恵美

『地球号の危機ニュースレター』
No.531(2024年9月号)