「地球号の危機ニュースレター」531号(2024年9月号)を発行しました。

〈アフリカの旅2〉故郷アフリカに帰ってきた

Table Mountain

ナミビアを目指しまずケープタウンに。背景はTable Mountain © 岡部一明

岡部 一明

弥生系に隠れた縄文の伝統

 日本人は縄文人のアイデンティティを取り戻すべきだろうか。現代日本人の中には約20%の縄文人のDNAが含まれている。残る80%は弥生系で、これは今から2000年前前後に大陸から稲作をたずさえて渡来してきた人々だ。列島の人々は混血し、どちらかというと弥生系になったわけだが、約15000年前からここで固有の生活を営んできた縄文人としての自覚に返るべきだろうか。

 難しい問いだ。いやいや、そもそも現代日本人はそんなことは考えたこともないだろう。

 南アフリカ(以下、南ア)のコイサン族に関する状況はこれに似ている。コイサン族は実に16万年前から(ホモサピエンス出現の初期の頃から)アフリカ大陸の少なくとも南半分に広く分布していた。しかし、4000年ほど前から西アフリカのバンツー系諸族の拡散が始まり、コイサン族は徐々に追いやられる。バンツー系は2000年前前後に現南ア地域にも到達。コイサン族は吸収されるか、遠隔の半砂漠地帯に駆逐されていった。現在、南ア人口の8割がバンツー系の黒人で、ズールー族(23%)、コーサ族(16%)などが主流となっている。

南アフリカ博物館のコイサン壁画展示。アフリカ南部にはコイサン族が洞穴や岩に描いた壁画が無数に残る。最古のものでは2万8000年前のからある。コイサンの残した芸術として価値があり、世界遺産になっているものもある © 岡部一明

南アフリカ博物館のコイサン壁画展示。アフリカ南部にはコイサン族が洞穴や岩に描いた壁画が無数に残る。最古のものでは2万8000年前のからある。コイサンの残した芸術として価値があり、世界遺産になっているものもある © 岡部一明

再現された縄文時代の住居。21世紀の森と広場(千葉県松戸市)

再現された縄文時代の住居。21世紀の森と広場(千葉県松戸市)。ちょっと立派すぎると思うが。写真:Yukikaze1234, Wikimedia Commons, CC BY-SA

コイサン族の住居。縄文住居と似てなくもない。ナミビア北東部のカホバ集落で © 岡部一明

コイサン族の住居。縄文住居と似てなくもない。ナミビア北東部のカホバ集落で © 岡部一明

ネルソン・マンデラにもコイサンの血が

 が、バンツー系もアフリカ南部への拡散過程でコイサン族と混血している。ズールー族、コサ族を含むバンツー系ングニ諸語を話す人々の遺伝学的調査では、母系のミトコンドリアDNA30%~42%がコイサン起源だという(父系のY染色体DNAでは5%以下。つまり、主にバンツー系の男とコイサン系の女の混交があったことを示す)。文化的にも、これら諸族の言語にはコイサン系言語の特徴であるクリック音素が入り込んでいる。

 コイサンDNAの最大値(42%)はコサ族のもの。解放闘争の指導者ネルソン・マンデラもコサ族出身だが、2004年にルーツ探索DNA検査をしたところミトコンドリアDNAがコイサン起源であることがわかった。確かに彼の顔立ちにはアジア系に似た面影がある。解放後の白人との共生、多様性ある社会の創造を目指した彼の寛容性ある指導力はモンゴロイド的なやさしさに……おっとっと、そこまで言っては逆の偏見になる。すでに私はコイサン族にアイデンティファイ(自己同一化)しはじめているのか。

ネルソン・マンデラ

ネルソン・マンデラ Bilde: unknown, CC BY-NC-SA

コイサン復興運動

 南ア黒人たちの間には、アパルトヘイトの中で強いられた人種区分とアイデンティティとは別の、新しい何かを探し出そうとする動きがある。アフリカの先住民として最も古い、というより人類で最も古い、コイサン族の中に有力なアイデンティティを求めていくコイサン復興運動(Khoisan Revivalism)が顕著になっている。

アパルトヘイト時代、ケープタウン最大の黒人居住区だったランガ地区の大通り。背景にテーブルマウンテンやデビルスピーク。ランガ(現人口6万2000人)は反アパルトヘイト運動の拠点だった。現在でも黒人の権利向上、生活改善の運動が活発で、コイサン復興運動にも重要な役割を果たす。アパルトヘイトが終わった今でも、ランガ住民は黒人ばかりで、その中でもコサ人が多い。コイサンとのつながりが強い人たちだ © 岡部一明

アパルトヘイト時代、ケープタウン最大の黒人居住区だったランガ地区の大通り。背景にテーブルマウンテンやデビルスピーク。ランガ(現人口6万2000人)は反アパルトヘイト運動の拠点だった。現在でも黒人の権利向上、生活改善の運動が活発で、コイサン復興運動にも重要な役割を果たす。アパルトヘイトが終わった今でも、ランガ住民は黒人ばかりで、その中でもコサ人が多い。コイサンとのつながりが強い人たちだ © 岡部一明

半分は整備されて、意外にもゆったりした地域になっていた © 岡部一明

半分は整備されて、意外にもゆったりした地域になっていた © 岡部一明

Joe Slovo Park地区

ランガの半分は、インフォーマル居住区と言われる貧しい地域になっている。特にこのJoe Slovo Park地区が有名 Photo: Vgrigas, Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

地域活動の中心となっているグガステベ文化センター

地域活動の中心となっているグガステベ文化センター © 岡部一明

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