佐藤 ヒロキ
私は数年前からフランスの田舎の村で暮らしているが、村の人々は礼儀正しく、親切で、田舎に引っ越してから嫌な目にあったことはほとんどない。近隣の町に買い物に行っても、店員は感じが良く、意外なほど気配りのきく人も多い。そのうち嫌な目にもあうかも知れないと覚悟はしているが、今のところフランス人に対する私の評価は確実に高まっている。
しかし、なんとなく気になるのは、2022年6月の総選挙の結果だ。この村を含む選挙区において、第2回投票(決選投票)で当選したのは反移民を掲げる極右政党「国民連合(RN)」の候補者であり、村に限定した投票結果を見ても、この候補者が過半数の得票で勝利した。
もっとも国民連合(RN)が敵視する移民は主にアラブ・イスラム系移民であり、私のようなアジア人に対して特に敵対的な姿勢をとっているわけではない。前身の国民戦線(FN)時代の幹部には、京都大学への留学経験のあるブリュノ・ゴルニッシュという日本法の専門家もいたほどで、日本の一水会とも交流があり、その縁で、2010年夏に東京で開催された極右系政党の国際会議に国民戦線(FN)もジャンマリ・ルペン党首(当時)を団長とする代表団を送り込んだ。
今の国民連合(RN)は「国民戦線(FN)」で顕著だった反ユダヤ主義からも脱却を試みて、最近ではユダヤ人共同体からも一定の評価を得るに至ったことは前回までの本稿ですでに取り上げた。 それにもかかわらず、国民連合(RN)が最多の支持を集める地域に住んでいるという認識は、外国人である私にとってどこか居心地が悪い。
極右政党「国民連合(RN)」と前身の「国民戦線(FN)」の違いは?
この感覚はおそらく、私の側の一種の錯覚にも起因している。私は以前(何十年も昔のことだ)、パリの郊外にある病院に赴いた帰り道に、それと知らずに国民戦線(FN)の支持者が集まるらしいカフェに入ってしまった。
カウンターでビールを飲んでいると、近くにいた男性のグループが店主や店員と一緒にいきなり、国民戦線(FN)を称え、移民排斥を呼びかける歌をいっせいに歌いだしたので、びっくりした経験がある。
当時の国民戦線(FN)はまだジャンマリ・ルペンが党首で、すでに岩盤支持層といえるような強固な支持層を得ていたが、過激なイメージが強く、政権獲得が可能だとは全く考えられてもいなかった。
歌の内容は露骨に人種差別的で、聞くに堪えないものだった。別に私に対する嫌がらせではなかったと思うが、国民戦線(FN)の支持層とはこういう人々か、と嫌悪感を覚えた。
この経験のせいで、私の中に、非常にネガティブな国民戦線(FN)の支持者像が強く刻印されてしまったきらいがある。
今の国民連合(RN)が当時の国民戦線(FN)と比べて本質的に異なる政党なのかどうかは議論の余地があるが、下院(定数577)で89議席を獲得し、最大野党に躍進した国民連合(RN)の支持層は当然のことながら以前より大きく拡大し、その構成も変化している。
特によく指摘されるのが、左派離れした有権者の取り込みだ。国民連合(RN)が新たに獲得した支持者は、初期の支持者と異なり、必ずしも反移民の党是に共感しているわけではない。
自らの日々の生活を改善し、各種の危機がもたらす苦痛を和らげてくれる指導者や政党を求めているに過ぎない。その点を考慮して支持層のイメージを若干修正する必要がありそうだ。
フランスの社会党政策の変化が、、、。
現在のマクロン大統領の前任者のオランド大統領は2012年から2017年まで社会党政権を率いたが、この時代に、従来は左派支持だった庶民層の失望感が強まり、極右支持に合流する動きが顕著になったとみられている。これは一見奇妙な動きだが、要するに庶民の味方は誰なのかを競う有権者マーケティングで、従来のチャンピオンだった左派が脱落し、挑戦者の極右が勝利したということだろう(伝統的保守の利害は庶民とは一致しないので、最初から土俵にのぼっていない)。
フランスの社会党はミッテラン大統領の時代に政権を担当できる大政党に飛躍し、その後の保守政権時代にも最大野党としての地位を保持した。地位が向上したのはよいが、同時に「ブルジョワ化」が進んだ。
中間階層以上の家庭出身で、グランゼコールのようなエリート校で教育を受け、官僚としてキャリアを築いたような高学歴・高所得の党員が中枢を占めるに連れて、ビジョンや優先課題も変化し、下層よりも中流や上層の社会階層との親和性が強まった。
オランド政権の最大の成果は同性婚の合法化だろうが、こうした社会倫理や社会的価値観に関わる問題を、フランス語では「ソシエタル」と形容し、伝統的な社会問題を指す「ソーシャル」と区別している。
砕けた言い方をすれば、社会党は、いわゆる「意識高い系」の問題に対する関心を強める一方で、賃金の底上げのような庶民向けの地道な政策には力を注がなくなった。LGBTの権利擁護などはたしかに重要な課題だが、庶民層有権者の大多数にとっては日々の生活の改善がより切実な課題だ。
それに、田園部の住民から見ると、「ソシエタル」な問題というのは、首都圏の一部の人が熱心に論議しているだけの縁遠い問題のようにも感じられがちであり、疎外感を招きやすい。
オランド政権は特に後半では、自由主義的な傾向を強め、ビジネスフレンドリな政策を進めて、保守と大差がないとの印象を与えた。大企業や経済界からは歓迎されたが、その一方で、地方では雇用の減少や医師の不足が深刻化するなど、「ソーシャル」な政策への取り組みは手薄になった。
こうした傾向は、オランド政権の経済政策を担っていたマクロン大統領によっても引き継がれている。
左派的性格が薄れて中道化した社会党は、オランド政権の末期に政権から離脱して中道勢力を糾合したマクロンの新与党に吸収されてしまい、現在残存している社会党はもはや左派の弱小野党に過ぎない。
マクロン政権は中道を標榜しているが、実際の政策は中道右派寄りで、しかも地方での基盤が弱いためか、過疎化や産業空洞化や医療砂漠化などに有効な対策を打てないでいる。旧来の左派支持層は、オランド政権への失望に加えて、社会党の実質的な消滅という事態に直面し、いわば政治的孤児になった。
マクロン時代の左派野党を代表するのは、極左的な傾向の強い「不服従のフランス(LFI)」だが、同党は、反エスタブリッシュメント、ポストコロニアリズム、反人種差別(特にイスラム教徒への差別に反対)など、やはり「ソーシャル」よりも「ソシエタル」なイデオロギーの強い政党で、旧来の左派支持層とは必ずしも折り合いが良くない。
また環境派政党も、フランスでは環境政策以上に、「ソシエタル」な問題への取り組みに積極的と言われ、都市型・インテリ型で、地方の庶民が頼りにできる政党ではない。
それに、残念ながら、農村部の住民はエコロジーを警戒したり、軽視する傾向も強いことも事実だ。
こうした状況で、国民連合(RN)は地域の有権者や議員などとの交流を積極的に進め、当初は警戒されながらも、地道な努力により、徐々に信頼を勝ち取ってきた。父親のジャンマリ・ルペンを党から除名したマリーヌ・ルペンの指揮下でより穏健な政党へのイメージチェンジ戦略を進め、イデオロギー色を抑え、ことあるごとに庶民の味方としての分かりやすい立場から政権批判を展開してきた。
この点が、2022年の総選挙前に発足したもう一つの極右政党「ルコンケット(失地回復)」との違いでもある。ルコンケットを率いるエリック・ゼムールは右派の論客としてならした元ジャーナリストで、弁舌は鋭いが、明確なイデオロギー的立場を前面に押し出しているせいもあって、支持者はどちらかといえば都市の知識層に多く、地方の庶民層からは敬遠されている。
こう言っては失礼かも知れないが、マリーヌ・ルペンには父親ほどの知性や教養はなく、強固な思想的信念が欠けているので、それがむしろ国民連合(RN)の脱イデオロギー化には有利に働いているのではないか。親子の資質の違いが、時代の変化にもうまく合っていたのだろう。
国民連合(RN)の政権獲得への条件は?
ところで、ジャンマリ・ルペン時代の国民戦線(FN)を知っている私としては、マリーヌ・ルペン時代のいわゆる「脱悪魔化」戦略や「正常化(普通の政党になる)」戦略こそが党史の大きな転換点に見えるのだが、専門家に言わせると、そもそもジャンマリ・ルペンによる国民戦線(FN)の創設(1972年)自体が、前身である「新秩序(Ordre nouveau)」のイメージチェンジを狙いとしたものだったのだという。
「新秩序(Ordre nouveau)」はファシズムの流れを汲む組織で、そのイメージを刷新し、より世間体の良い組織となるべく出発したのが国民戦線(FN)だったそうで、国民戦線(FN)は発足当初から穏健化によるイメージの改善を目標としてきたのだという。
それにしては、ジャンマリ・ルペン党首の数々の反ユダヤ主義的暴言はいかがなものか、と思わないでもないが、そこらが父親世代の限界だと見極めたマリーヌ・ルペンが、お荷物になった父親をあえて排除することで、イメージ改善の責務を父から引き継いだとも考えられる(その場合は、マリーヌ・ルペンは改革者というより父親の仕事の正統的な継承者ということになる)。
マクロン政権内での国民連合(RN)の今後は?
党史の解釈はともかく、最近はマクロン大統領すら、国民連合(RN)を単に倫理的な角度から批判することは古いやりかたで、今では意味がなくなったと明言しているほどで、イメージ戦略の成果により同党は「普通の政党」にさらに近づいた感がある。
それに対して、マクロン政権内でほぼ唯一、国民連合(RN)がユダヤ人支援デモ行進に参加することを正面から批判したヴェラン政府報道官は、国民連合(RN)のシンボルマークである「炎」に言及して、同党の反ユダヤ主義の系譜を指摘した。
ヴェラン報道官の批判は政権内においてすら時代錯誤だなどと言われて、受けが良くないのだが、国民連合(RN)の出自にこだわるこの指摘はかなり的を射ているのではないだろうか。
国民連合(RN)のシンボルマークは三色の炎で、これはフランスの国旗である三色旗(トリコロール)の青・白・赤を炎の形にあしらったものだ。ところが、歴史家によると、これはもう一つの三色旗であるイタリアの国旗(トリコローレ)の緑・白・赤を炎の形にあしらったイタリアの旧ファシスト政党「イタリア社会運動(MSI)」のシンボルマークに倣ったものという。
つまり、国民連合(RN)のシンボルマークはファシズムと繋がる同党の出自の悪さを示唆するものなのだが、ジャンマリ・ルペンは、表向きはイタリア社会運動(MSI)との関係を否認し続けていた。これに対してマリーヌ・ルペンは2011年にイタリア社会運動(MSI)の創設者ジョルジョ・アルミランテの未亡人との会話で、炎のシンボルマークをイタリア社会運動(MSI)から受け継いだことを素直に認めている。歴史的な検証でもこれは確実だという。
なお、マリーヌ・ルペンは2018年に国民戦線(FN)を国民連合(RN)に改称した際に、シンボルマークのデザインも少し変更した。三色の炎を維持しつつ、「より女性的で丸い」形に変えたと党員に説明した。これは党の新戦略の方向性を指し示す言葉でもある。また炎を、閉じていない円で囲み、全員に開かれた党として国民全体の結集を目指すシンボルとしたとも強調した。
より柔らかな形になったとはいえ、国民連合(RN)のシンボルマークがイタリアのファシスト政党に由来していることに変わりはない。ここらに過去と決別し切れない国民連合(RN)の曖昧さを見ることも可能だろう。
しかし、イタリア社会運動(MSI)が辿った軌跡を考えれば、これは国民連合(RN)にとり必ずしもマイナスではなさそうだ。イタリア社会運動(MSI)はすでに消滅したが、かつて15歳の若さで党員となったジョルジャ・メローニが創設した「イタリアの同胞(FdI)」により受け継がれ、今やイタリアの政権を担当するに至っているのだから。
フランスでも2027年にはいよいよマリーヌ・ルペン大統領が誕生することを覚悟しておかねばならないのかも知れない。いや、それ以前になんらかの理由で、解散総選挙が実施された場合には、国民連合(RN)のバルデラ党首を首相とする内閣が成立し、マクロン大統領との共存体制に移行する可能性もある。 そうした事態が生じても慌てずにすむように、極右のことをできるだけ理解しておく必要がありそうだ。
佐藤 ヒロキ
フランス在住ライター
『地球号の危機ニュースレター』
No.523(2024年1月号)