何だったのか
20世紀社会主義の中で、おそらくユーゴスラビアはまともな方だった。多民族の共生社会を目指し、労働者自主管理の貴重な実験を国家的規模で40年にわたり継続した。その末路が、民族殺し合いであり、自主管理経済の崩壊だった。旧東欧社会主義諸国の中でも最も残酷な結末だった。
何だったんだ、ユーゴスラビアよ。博物館を出る際、そういう思いがこみ上げて来ざるを得なかった。日本の身近にも、このユーゴスラビア共産主義に期待をかけていた人たちが多く居たことを知っている。それを思えばなおのこと、歴史の非情を思わざるを得ない。
活発な労働運動は今も
ある日、ベオグラード中心部から郊外の宿に帰ろうとして市バスがまったく来ないのに困り果てた。やむをえず、橋の方に歩きだしたらものすごい人出だ。何だこれは。
次から次とデモ隊がやってくる。まいった。これじゃあ、バスも動かないわけだ。5月に立て続けに起こった銃撃事件について政府の対応に抗議するデモだという。市バスの運転手組合もデモに参加してしまっているのだろう。橋向こうには多数の貸し切りバスが停まり、地方からも大量動員があったことをうかがわせる。少なくとも数万人規模。この規模のデモ、今の日本ではありえない。自主管理社会主義を支えた労働組合の組織力は今でも健在のようだ。
岡部一明
『地球号の危機ニュースレター』
No.520(2023年10月号)