モルドバに入っていいか
モルドバは、できれば来たくなかった。ウクライナのすぐ近くで、ウクライナ侵攻が成功すれば次はモルドバがやられると言われている国。実際ロシアは、ロシア系の多いモルドバ東部、トランスニストリア地方に1992年から軍を駐留させ、実効支配している。ルーマニア、ポーランドなどあくまで独立国だった東欧諸国と違い、モルドバはウクライナ、ベラルーシなどと同じく旧ソ連領だった。
戦争中のウクライナに入ってはいけないように、周辺国でも危険なところは、戦争ジャーナリストでない限り、安易に入ってはいけない。入る前に検討した。日本外務省の「危険情報」によると、モルドバは、東端トランスニストリア地域がレベル3の「渡航中止勧告」である以外は、レベル1の「十分注意」。例えばインド、インドネシア、フィリピン、カンボジアなどと同じだ。モルドバにはウクライナ難民も多いので居場所で競合する事態も避けなければならない。しかし、宿が混みあっているわけではなく、宿予約サイトには空きが多かった。私の宿などは、1カ月延長しようとしたところ先約があったのは3日だけ。そのうち2日は直前にキャンセルされたので、私が別に宿を確保する必要があったのは1日だけだった。
友だちが増える
キシナウでなんだかティーンエイジャーの友だちばかり増えた。長期滞在だし、かつすぐ近くにバスケコートがあるので、毎晩バスケで体を鍛えることにした。そうすると相手はティーンエイジャーばかりだ。73歳のおじいさんが15~16歳の若者と対決。
「あのー、すみません、あなたはカザフスタン人ですか中国人ですか」と若者が聞いてきた。英語の話せない見物人から、聞いてくるように言われたという。「日本人だよ。」
「おお、日本。ビューティフル。」
よろしい。昔は日本はエコノミック・アニマルと言われ忌避されたものだが、今は美しい国というイメージができたか。それにしてもなるほど、まずは「カザフスタンか」と思うのだな。かつてソ連圏、社会主義だったから、東アジア系の顔立ちはまずカザフ人に見えるのだろう。
モルドバでアジア系にはまったく会わなかった。黒人はチラホラ見た気がするが、東洋系は居ない。「白人」の国で、アメリカで言えば、マイノリティの居ない田舎に来たような感じだった。街を歩いても視線を常に感じ、私は明らかに目立つ存在だった。
最近はスマホ翻訳で、簡単にコミュニケーションできるようになった。便利だが面倒になったかも知れない。こっちはシュート練習したいのに、いつまでもスマホ入力翻訳で若者たちが質問をぶつけてくる。「何歳?」「名前は?」「日本のどこ?」「何しに来ている?」「職業は?」「家族は?」「バスケはどこで覚えた」…。
モルドバの若者たちは活発だ。「日本が好きだ」「アニメが好きだ」「これからは中国も含めてアジアの時代だ」「ヨーロッパ人は半分が腰痛持ちでスポーツできなくなっている」「僕は(車を横滑りさせる)ドリフトってのが好きなんだ。ほらこれ日本車だろ」と動画を見せる。
よかろう。若きモルドバの諸君に国際理解と交流の場を提供できることは誠に光栄であって…しかし、シュート練習したい。体が冷えてしまう。
15、6歳が多いのはハイスクールの学年のせいだろう。卒業するとあまり来なくなる。だいたい近所の若者だが、「僕はキシナウじゃなくて田舎の方から来ている」というのも居た。頻繁にやってくる小学生の男の子はイスタンブールから来たという。「タバコ持ってないか」と一番最初に近づいてきた16歳のアドリアン君は、お姉さんがドバイに働きに行っているとのこと。ある日そのお姉さんが帰ってきて試合に参加した。なかなかうまく、彼はお姉さんに鍛えられているようだ。明るいうちに3対3でやっているかなりうまい20代の青年たちはアゼルバイジャン人なんだという。皆ほとんど英語が話せないので、どういう事情かわからないが、面白いことだ。
ウクライナの青年
ある日の夕方、まだたまたまそこに居た若者をつかまえてバスケの1対1をやった。恐ろしくロングシュート(3点シュート)が入るやつだった。必死にディフェンスし、こっちは抜き去りのレイアップシュートを決める。いい勝負だ。耐久力でも勝負、と思っているので、こっちからはやめようとは言わない。相手が先にやめようと言ったら俺の勝ちだ、というゲームを自分の中で考えている。
と、「どっから来たんだ」とその若者が聞いてきた。
「日本から。」「おお、日本か。」
「君はモルドバだね。」「いや、僕はウクライナから来た。」
「え、ウクライナから! 戦争やってるだろ。」「そう。」
「何歳なの?」「19歳。」
何でここ(キシナウ)に居るんだろう。プライバシーには触れたくないが、バスケ対決の勢いだ、聞いてしまった。「戦争に行かなくていいのか。」
「秋になったら行く」とその青年は言った。学校に行くためモルドバに来ているらしい。
「どこの街? キーウ? リビウ?」と聞くと、
「オデッサから」と言った。「今、爆撃されているところじゃないか。」(2023年7月17日のクリミア橋爆破の報復とみられる露のオデッサ攻撃が2023年7月19日から始まっていた。)
「そう、毎日爆撃がある。僕の妻はそのオデッサに居るんだ。心配で、毎日連絡取り合っている。」
何てことだ。19歳だけど結婚していて、妻がオデッサに居て、秋になったらそのオデッサに帰り、戦争に行くのだという。絶句していると、ボールを持ってまた1対1を仕掛けてきた。肉弾戦が再開する。
深い話はそれだけだった。30分は対決していただろうか。若者はだんだん走れなくなり、「あと2本で止めよう」と言った。私がレイアップを入れ、彼に3点シュートを決められた。まあ、いい勝負で終わった。握手の手を差し出してきた。
何て言ったらいいのか。「戦争がんばってこいよ」などとは言えるはずがない。「いいゲームだった、Good game!」とだけ言って別れた。
毎日若者とぶつかり肉弾戦を挑む。しかし、きょうの彼は、秋になったら本当に肉弾になって散ってしまうかも知れない。そういう相手とやったのは初めてだ。ぶつかり合いの感触が残る中、帰り道、複雑な気持ちになった。あまり走れなくなった彼は、ちょっと耐久力が心配だ。戦場で大丈夫か。こんな元気な老人こそ、戦場でくたばるべきなのか。