湯木 恵美
子供の頃は、村の運動会が楽しみだった。
学校行事とは違い、地域の大人達と一緒になって様々な競技をすることには不思議な魅力があった。 いつも怖いと思っていただけの村のおじさんが楽しそうに走っていたり、結構お年寄りだと思っていた方が、抜群の運動神経を披露してくれたりと、日常とは違った側面が見られて新鮮だった。今より格段に娯楽も少なかったことも関係していたかもしれないが、どの家も出場することが当たり前のように賑わっていた。
村の運動会は、朝早くから始まり、お昼を挟んで午後まで続く。屋台も沢山並んで、運動会という名のお祭りだった 。
立ち並ぶ屋台には珍しいおもちゃやお菓子が売られていた。その中に、毎年飴を売っているお姉さんがいたことを覚えている。珍しいものばかり並ぶのに、お姉さんは普通の飴を売っていた。確かに色とりどりではあったけれど、そんなに珍しいと言うほどのものではなかった。ただお姉さんのお化粧がカラフルで、アイシャドー、口紅、頬紅が、飴の色と重なって、私はそのお姉さんばかり見ていた様に思う。
時が流れて大人になって、運動会には全く行かなくなった。他に用事があることもあったけど、そんなに魅力を感じなかったのかもしれない。けれど今年は運動会の役員が回って来て、本当に何十年ぶりかに参加することとなった。
驚いたことに、市内でも区民の運動会をやっているところはもうなく、唯一1カ所だけ残ったのが私の住んでいるこの地域だと言う。規模は縮小され、午前中だけとなったが、辞めるに辞められなくなったのかもしれない。ただ、この雰囲気を半世紀以上も引っ張ってきていることには素直に感動した。
単純なのか、私は一瞬で雰囲気に呑まれた。拍手や声援が時を巻き戻して行く様だった。
秋晴れ、子どものはしゃぎ声、ムキになって全力を出す大人。こちらもついつい大声で応援してしまう。応援させられてしまう。ここは一体どこなんだ?とても奇妙な感覚だった。
普段は挨拶をする程度のご近所さんともゆっくり話した。
あんなに広いと思っていた校庭が、こんなに狭く感じるとありがちなことを言った私にご年配の方が、「私たちの歳になると、また広く端までが遠く感じる」とおっしゃった。この言葉は身に染みた。
そして屋台はと言うと、1店舗だけになってしまったけれど、椅子に座っていたのは、歳を重ねた飴を売っているお姉さんだった。何だかすごい!これにはちょっと泣きそうになった。お姉さんすごい!
たった1箇所になってしまった村の運動会。やめられない理由もわかるような気もした。
湯木恵美
『地球号の危機ニュースレター』
No.533(2024年11月号)