「地球号の危機ニュースレター」529号(2024年7月号)を発行しました。

巡る季節と変わる時代

© 湯木恵美

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湯木 恵美

 田んぼに水が入り、風景が映り込むそのほとんどが緑色で、春先のパステルとは違う、力強い季節がやってきました。

 何があっても季節は巡り、人の手で無理矢理変えられない限りは、同じように花が咲き、同じように草木が茂ります。

 そんな景色を見ながら歩いていると、家の近くのお地蔵様にお花やお水が備えてありました。

 巡ってくる季節と人の奥底にあるものの基本は、時が流れても変わらないものなのでしょうか。けれど、言葉は変わってきていると感じています。若い人たちと話していて、伝わらないことが時々あって、驚きつつもなんだかおかしくて、私は伝わらない言葉をわざと使ってみることがあります。 「服、シワになっちゃうよ、そこに衣紋掛けあるからら掛けときなよ」この衣紋掛けという言葉は、かなりの確率で伝わりません。だから尚のこと、ハンガーとは言わないようにしています。

「そのとっくり、衣紋掛けにかけといてください」これも今度使おうと目論んでいます。出来ることなら「日本の言葉を失いたくない同好会」などを立ち上げたい位に思い、日本人らしい意味合いを持った言葉を、カタカナにしてしまうのはもったいないんじゃないかななどと、常々小うるさく言っている私なのですが、「ノートどこにありますか?」と聞いた時、「帳面なら戸棚の中です」と返されてしまい、大笑いしたものです。言葉はどんどん変わっていって、私も新しい言葉を使っているんだろうなぁと思いました。

 けれど、全くわからないこともありました。 「チルする」と言われた時には、これがくつろぐと言う意味だとは、想像すらできませんでした。

 せめて流行り言葉であってほしい。定着しないでほしい。言葉には、なんとなく背景があり、意味があって欲しいと個人的に思っています。

 色々と変化のある時代ですが、最も変わったと思われることは、パワハラ、セクハラ、モラハラなどのハラスメントと言われるものではないかと私は思います。新しい言葉で区分けされ、良い意味では、以前よりは抑止力になっているのではないかと。特にひどい言葉や行動などで、日常的に嫌がらせを受けた側が、自分を責めるのではなく、これはおかしいと思うきっかけになったらと願います。

 ハラスメントの種類はどんどん増え、自分の価値観と違う相手が居て、その相手が嫌がることをわかりやすく説明されているようで納得できることも多々ありました。しかし、これだけはおかしいのではないかと、ひどく驚いたことがひとつあります。 それは、「マルハラ」と言うもので、最初聞いたときには、冗談じゃないかと思ったほどです。内容は文末に「。」(句点)をつけることで、受け取った側に、冷たい、怖い、威圧感などを感じさせてしまうのだそうです。

「そんな。。。」学校で、国語の時間に句読点を習わなかったのだろうか?それとも今は教えないのだろうか?私は文末に「。」が付いてない方が違和感があって落ち着かない。私を落ち着かせない「マルなしハラスメント」になりはしないのだろうか。

 そんなことを知ってから、今までのLINEやショートメールなどの末尾ばかりが気になるようになりました。遡って見てしまいます。けれど友人知人、親しくしている方の文節には句読点がちゃんとあって、なんだかほっとしました。良かった。  それより何より、読み返したやりとりにある私の文章は、なんと誤字の多いことか。本当に嫌になる。これを解析しながら読んでいただいていると言うのであれば、れっきとした「誤字ハラスメント」と言われても、私は言い返せないと思いました。

 散歩をしていたらいつもの道に出ました。あの角を曲がれば、この季節、きっと菖蒲の花が咲いているはずです。

 いちにのさん!角を曲がると紫の花の群生がいつものこの季節と同じ様に、私を迎えてくれました。

© 湯木恵美

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湯木恵美

『地球号の危機ニュースレター』
No.528(2024年6月号)