「地球号の危機ニュースレター」529号(2024年7月号)を発行しました。

〈ロシアのユーラシア主義4〉ユーラシアへのロマン

ユーラシアの草原地帯

ユーラシアの草原地帯。モンゴル・アルタイ地方。冬が近づき、草原は枯れてきているが、家畜が放牧されている © 岡部一明

岡部 一明

 繰り返すが、ロシアが自らの原点を求めてユーラシアに回帰しようとすること自体はよい。米国や西ヨーロッパ、つまり「大西洋世界」は我々とは異なる、我々は大西洋世界とも環太平洋世界とも異なり、広大なユーラシアに基礎を置く国家だ、そこを基盤に、堕落した大西洋世界リベラリズムとは全く異なる規範を打ち立てる第三、もしくは第四の世界なのだ、と主張する。そういう「ユーラシア」を発見できたことは素晴らしいとも思う。

天山山脈の麓に広がりはじめるカザフスタン最大都市・アルマティの街

アルタイ山脈を越え、ジュンガル盆地のかなたにカザフスタンの大平原が始まる。写真は天山山脈の麓に広がりはじめるアルマティの街(カザフスタン最大都市)。中国側から見るとこの山並みは西域・天山山脈の裏側にあたる。ここからユーラシア大陸は平たんな平原となり、アラル海、カスピ海沿い、さらにウクライナの平原、ルーマニアのカルパチア山脈まで数千キロ続く © 岡部一明

ウクライナの平原。モルドバ国境のドニエステル川対岸から

ウクライナの平原。モルドバ国境のドニエステル川対岸から © 岡部一明

 かつてのソ連には、少なくともその革命直後には「共産主義」というロマンがあった。すぐにスターリンの恐怖政治が始まって、建前はともかく本音でのロマンは跡形なく消えたが、少なくとも建国当時のソ連のアイデンティティは社会主義建設という「ロマン」だった。

 ソ連は解体、消滅した。ロシアの人々には何が残されたか。かつての帝国は分解し、冷戦の一方を構成した超大国の栄光はなくなった。だからといってかつてのソビエト体制に回帰しようという気には、さすがのロシア国民でも起こらないが、帝国への郷愁はある。再びあのロシア帝国、ソビエト帝国の栄光を取り戻したい。そうした民族意識の中に入り込んだのがユーラシア主義だ。

 ロマンはよい。しかし、周辺が言うことを聞かなければ軍隊を出して従わせるのはだめだ。私たちはこういう失敗をすでに多すぎるほど繰り返してきて、そんなやり方は通用しないことを身に染みて悟ってきた。「大東亜共栄圏」で、東アジアの民と諸国家が平等に連携して共栄していくのなら何の問題もないが、それを日本が統率する、軍事力で抑える、それが問題だった。つまり帝国でなく、EU的な平等の連携、入るも出るも自由な対等の連携をつくらねばならない。どこの大国にもこうした帝国的観念は巣くっているものだが、ロシアにも、この古い観念が無批判のまま残されているように感じる。

帝国主義が社会主義の衣で隠されていた

 ロシアは、旧ソ連圏の内外で行動様式が異なり、「勢力圏」内の諸国に対しては非常に簡単に国家主権を蹂躙するとの分析がある。圏外に対しては、アメリカなどグローバルな介入政策をけん制するためにも、国家主権の重要性を強調し、たとえ人道的な理由によるものでも介入を強く批判するが、旧ソ連圏内の諸国に対しては、今回のウクライナ侵攻でも明らかなように、まったく簡単に主権を犯し、軍事介入を行う。

 例えば、これは国内(ロシア連邦内)共和国であったが、1990年代以降独立を求めたチェチェンに対して徹底した弾圧を加えた。これと同様に、2008年、ロシア外の主権国家グルジア(ジョージア)に軍事介入し、南オセチア、アブハジア地方を実質的に分離独立させた(南オセチア紛争)。そして2014年のウクライナ・クリミア半島への軍事侵攻とロシアへの併合、2022年2月に始まる今回の全面軍事侵攻、と続く。

コーカサス山脈・ゴリ市からの眺望

コーカサス山脈(写真)南麓の南オセチア(ジョージア領)には、2009年以来ロシア軍が駐留している。ゴリ市からの眺望。ロシアのジョージア侵攻時にはゴリも一時ロシア軍に制圧され、虐殺があった © 岡部一明

 あまりにあからさまな主権侵害だが、このような「帝国主義」がこの時代になっても起こることの背景に、ソ連時代を通じてその帝国主義行動が社会主義の衣の陰で十分認識・批判されず、政治エリートはもちろん国民意識の中にも粗野な形で残存した、と思われる節がある。革命当時には、民族自決の動きも含まれていたかも知れない内乱を「反革命の掃討」という名目で抑え込み、ロシア帝国が獲得した広大な領土をほぼ確保した。第二次大戦では開戦時にあった東欧侵略の意図は、「ナチズムに対する大祖国戦争」の美名で総括される中で忘れ去られた。

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