起業家精神
サン族見学が目的で来たのに、私は30分で切り上げて、そそくさと帰路につく。リビング博物館の周りには実は実際のサン族の村カホバ(//Xa/hoba)がある。遠慮して写真は撮らなかったが、ツムクェほどではないが活発な集落生活があるようだった。伝統家屋ばかりでなく、テントなどもあり、ペットボトルのゴミなども落ちている。
前からラジカセの音楽が聞こえてきた。ソウル音楽か、あるいはナミビアのポップミュージックか。こっちに歩いてきたその若者2人は、前から来る私を見つけると音楽を止めた。伝統的サン族の生活を見学に来たのに、そこでラジカセ音楽を聞かせたらイメージ丸つぶれだろう、と思って止めたか。集落全体がリビング博物館事業に協力しているのを感じた。リビング博物館の収益は村に入り、貧困にあえぐサンの人たちの貴重な現金収入になる。個々の博物館の運営もコミュニティが担っているという。
キャオ君、ダム君と前日に会わないで、いきなりこのリビング博物館に来て、しかも大勢の訪問者とともに、村人総出の狩猟採集活動、各種伝統行事を見たりすれば、私の印象も変わっていただろう。もっと神妙な顔をして「狩猟民族の文化」に真剣に見入ったかも知れない。しかし、現代青年の二人が、突然狩猟採集民になったりして案内してくれると、何か可笑しい気持ちも少しあり、別の理解の仕方になった。決して「本物じゃない」など突っ込みを入れるのでなくて、そういう伝統を復活・維持させようと必死にこの事業を行なっている彼らの姿に、また別の意味から好感をもった。
キャオ君、ダム君、がんばれ。伝統を伝え、村の経済活動を行う。村総がかりの起業家活動だ。ここの村民たちは起業家精神にあふれている。物乞いするサン族をたくさん見てきたので、彼らのような積極的な生き方に希望を感じた。今後この事業がさらにさらに伸びて行くことを心から願う。
帰りはよいよい
行きはよいよい帰りは怖いと言うが、この場合、逆だ。2人との交流で元気が出た。長時間ライドで硬くなった体も、歩き回ってほぐれた。意気揚々と砂利道の復路に入る。そうだ、私はフルマラソンも走ったではないか、1日18時間10万歩も達成したじゃないか、真夏のバスケでスポーツドリンク2リットル飲むが、まだ水1リットルしか飲んでないじゃないか、などと自分を励ます。
ひたすらこぎ続ける。昼過ぎのサバンナの日差しはきつい。顔がほてってくる。ちょうどよいはずだった1.5リットルの水は、最終コーナーに差し掛かるあたりで飲み干した。最後のツムクェ村に近い前述砂道ではへたばってきて、頻繁に日陰で休む。もはや、野生動物への警戒などどうでもよくなった。頭がもうろうとして熱中症の1歩手前だったかも知れない。

またまた、この砂の道との格闘 © 岡部一明

周囲に広大なサバンナが拡がる © 岡部一明
村に着いた
最後のながーい砂地が終わると、村は近い。砂利道は砂地よりはるかにありがたい。自転車に乗れさえすれば、ともかく踏めば進む。
村の十字路到着。子どもたちからのハロー、ハローの呼びかけに応えず、行きつけのお店に直行し、1リットル・ロングライフミルクを買った。スポーツドリンクがない所では、牛乳が代わりだ。「体液」だからミネラルなどスポーツドリンクと同じ成分が入っている。飲みすぎると下痢するが。
ぐい飲みして、店の前の長イスに腰掛け、ぐったりしていると、さっそくいつも居るサン族のおばさんが近づき、執拗に何かをねだる。
「やめてくれ、俺は今、しゃべるのもやっとなんだ。」
私が消耗しているのと同じくらい彼女も空腹で参っているのかも知れない(それにしては元気よく迫ってくるが)。しかし、この時ばかりは、怒りが込み上げてきた。期待しているんだからしっかりしてくれ、サン族。モデルもあるじゃないか。伝統を基礎にしたビジネス、生業を立ち上げて誇り高きサンを再興してくれ。
席を立って自転車を返しに行く。近くのバーに行けと言われていた。貸主のカヤ君は居なかったが、その友人たちが居た。「おお、カヤか。知ってるぞ。友達だ。そうか、彼の自転車を借りたか。ここに置いていけ。」
そこから宿に向かう。まだ約500メートルある。歩くのがつらい。途中で警察署の庭にイスとテーブルがあるのを見つけ、休憩。警察官が「何をしているんだ」と迫ってくるが、私が外国人だとわかると(そしてぐったりしているのを見ると)知らんぷりして去ってくれた。
カントリー・ロッジでお世話になったネルソン君が通りかかった。彼とはロッジ外で、友人としてもっと話したかったが、こういう時に会うというのはあいにくだ。話す気力がない。近況を少しだけ話し合っただけで別れた。彼は買い物に来ていたらしい。
あと300メートル。休んだので歩く力が出てきた。下を見て、村人に声もかけず、やっと宿に着き、ほっとした。と思ったその時、

© 岡部一明
顔を上げると、な、何だ、この最後に、チーターが目前に現れた! 車の荷台の上から、精悍な姿でこっちを向いている。
どぎもを抜かれたが、動かない。そうか剥製か。それにしてもよくできている。客が自分の車の荷台においた飾りだろう。部屋に入りベッドにぶっ倒れる。全身、埃まみれ、砂まみれで、すぐシャワーを浴びなければならないが、その力を出すため、まず休む、という状態。
こんなに消耗し、熱中症の一歩手前まで行ったのは、高校の時、長距離走大会でへたばった時以来だ。50代でフルマラソンを走ったときもこれほど消耗はしなかった。60年近く前のあの長距離走のとき、最後の頃、手は振るものの、ほとんど前に進まなかった。ゴール後、保健室に移送。保健室のベッドに倒れこんでから、「やり切ったぞ」という達成感がおそった。あの時と同じ気持ちが湧いた。青春している…。
リビング博物館設立の経緯
サン族を支援する法律支援センター(LAC)の報告書に面白い情報があった。カホバ(||Xa|hoba)村とそのリビング博物館設立経緯について解説している。以下、翻訳。
「カホバ村はツムクェの北24キロ、カウダム国立公園へのルート上に位置する。すべて村民は[サン族内のサブグループ]ジュホアンシで、ほとんどが拡大家族の構成員だ。村民と結婚して転入してきた者も何人かいる。 調査対象者からの聞き取りでは、村には20世帯が住む。このカホバ村に嫁いできた一人がグラシュック(Grashoek)出身だった。[隣の]ナジュクナ保全区(N‡a Jaqna Conservancy)内にある同じくジュホアンシの村だ。グラシュックにはリビング博物館の観光事業があった[注:同地のLiving Museum of the Ju/’Hoansiはナミビア初のリビング博物館で、この成功により各地にこうした博物館が普及した]。婚姻を通じたこのガショフックとのつながりが、カホバ村民を感化し、自村で同様のプロジェクトを始めるきっかけとなった。カホバ村は2009年に、リビング文化財団から訓練、助言、標章作成、宣伝の支援を得てリビング・ハンターズ博物館を立ち上げた。その他の助成や支援はなく、調査時点では、村民自身がプロジェクト全体の運営を行っていた。観光客が着くと、村民は日常服を伝統的衣装に着替え、客をブッシュウォークに連れ出す。伝統的踊りを披露するなど、客の関心に沿って様々な伝統活動を行う。少なくとも村人の一人が英語に長け、観光客のため通訳を行う。収益はそのとき関わった村人の間で分け合い、一定部分は村の基金に入れ、村全体のための出費に使われる。このプロジェクトの存在はコミュニティ自足の支えとなり、カホバ村での伝統活動と観光事業への関心を極めて高いものにしている。」(p.101)
後日談
その後もツムクェ村でキャオ君と何回か会った。どうも、リビング博物館を訪れる観光客が少なく、村で暇つぶしをしているようだ。この中心村にも親戚、友人がたくさん居るので泊まるところには困らない。一日中だべる相手にも困らず、お店の前などで友人たちといっしょに居るところでよく会った。
「6日にあなたが来て、その後、全然お客なしだよ。次は25日と26日にグループが入っている。だれか来る人居ないかね。」
「さあ。ナミビアでは日本人にだれも会ってないよ。悪いな、力になれなくて。」
やはり、主要道から遠く、道も悪いことが影響しているようだ。主要道B8号線からちょっと入ったところに、もう一つのリビング博物館The Living Museum of the Ju/’Hoansi-Sanがある。まあ、そこに行けばいいや、となってしまう人が多いのではないか。
「でも、ほんとは皆『サン族の首都』の近くの博物館に行きたいと思っていると思うよ。政府に道路舗装をお願いしたらいい。」
サンの人々は正当な手続きで社会的に発言することがまだ弱いのではないか。がんばって欲しい。
岡部一明
『地球号の危機ニュースレター』
No.538(2025年12月号)


