「地球号の危機ニュースレター」532号(2024年10月号)を発行しました。

フランスの暴動、右派の主張に追い風に

フランスの暴動、右派の主張に追い風に

@佐藤ヒロキ

 フランスで6月末に激しい暴動が発生し、公共施設や商店が破壊や略奪の被害を受けたことは、内外に衝撃をもたらした。暴動が及ぼした経済的被害が正確に把握されるまでにはまだ時間がかかるが、10億ユーロ以上(現在の為替レートだと約1500億円)との見方も出ており、いずれにせよ、似たような暴動が起きた2005年の被害額を大きく上回るという。また観光大国であるフランスにとって、治安の悪化は持続的な悪影響をもたらす。

無免許運転の17歳の少年を警察官が射殺

 2005年の暴動も、今回の暴動も、都市郊外の若者と警察の根深い対立関係を背景としている。今回の暴動の引き金となったのは、パリ市の西郊にあるナンテールという都市で、6月27日に17才の少年が警察官に射殺された事件だった。少年はBMWブランドのスポーツカーを高速で運転していたところを、交通警察官の目にとまり、停車を命じられたが、いったんは逃走を試みた。2人の警察官に追いつかれて、停車させられ、職務質問を受けていた際に、射殺された。警察官は当初、少年が命令に従うことを拒否し、車を急発進させたので、身の危険を感じて発砲したと正当防衛を主張していた。このような状況での警察官による発砲は2017年の法律改正により許可されており、近年は、警察官が運転者を射殺する事件がほかにも起きていた。

 被害者の少年は、ナンテールの出身で、国籍はフランスだが、母親はアルジェリア人、父親はモロッコ人で、母子家庭に育ち、高校を中退して、ピザの配達人として働いていた。フランスでは運転免許を取得できるのは18才からで、少年は無免許運転の常習犯であり、前科こそないものの、交通違反では何度か捕まっていた模様。首都圏の郊外都市の典型的な移民系若者と言えそうなこの少年が警察官に射殺されたというだけでも、同じような境遇にある郊外の若者たちの反発や憤りを招く要因になるが、この事件ではたまたま通りがかった2人の目撃者が少年と警察官のやり取りを撮影し、その動画がアップされて、警察官による正当防衛の主張が嘘だったことが発覚、これが若者たちの怒りに火をつけた。発砲に至った経緯は不明瞭だが、動画によると警察官は2人とも車の側面に立っており、車の発進も緩やかで、身の危険を感じるような状況ではなかったことが判明している。また警察官のどちらかが「頭に一発ぶちこんでやる」などと威嚇していたらしいことも報じられた。

同乗していた2人の少年の供述で、詳細が明らかに

 これがきっかけとなり、首都圏だけでなく、全国で若者を中心とする暴動の嵐がほぼ5日間にわたり吹き荒れた。被害者が運転する車に同乗していた2人の少年の供述などにより、事件の詳細も次第に明らかになりつつあるが、まだ謎の部分は残っている。逃走を企てた不審な車を追跡して捕獲したという緊迫した展開のせいで、警察官の側にも焦りや怒りがあっただろうから、過激な発言などは本気だったかどうか分からないし、発砲も新たな逃走を阻止するための威嚇を意図したものだった可能性もあるが、武装していたわけでもない被害者を撃ち殺してしまったことが警察官側の完全な過失であることは明らかで、被害者がどのような人物であったにせよ(乗っていた高級スポーツカーの出どころなどについても不明な部分が多く、捜査が進められている)、若い命が突然に失われてしまったことがその家族だけでなく多くの人に衝撃を与えたことは当然だろう。

「警察による暴力」への批判対「暴力による破壊行為や略奪行為への批判」

 この事件を機に、「警察による暴力」への批判が再燃し、また警察官の人種差別問題が改めて議論されている。7月8日には、2016年にやはり警察官による逮捕の際に死亡したアダマ・トラオレ(マリ人移民の息子、黒人)の遺族が中心となって組織したデモ行進が、当局による禁止を無視して行われ、「誰もが警察を嫌っている」と連呼した。この違法デモに左派(左翼政党LFIや環境派EELV)の数人の国会議員が参加して物議を醸した。与党や右派野党からは、共和国の代表である国会議員が警察への憎悪を煽るようなデモに参加するとは何事かという批判が寄せられた。

 近年に警察を敵視する風潮が強まり、警察官の命令に従わないドライバーが増えたことで、警察官の側でも威嚇射撃を躊躇しないケースが増えており、それがまた警察への風当たりを強くするという悪循環となっている。

 ただし、事件後の暴動による破壊行為や略奪行為も凄まじかっただけに、郊外の若者とその家族を批判する声も警察批判に劣らず強まっている。政府は、少年を射殺した警察官の行為を許しがたいと判断する一方で、暴動に対しては強い姿勢で対処し、装甲車まで出動させて、取締にあたった。国際的な要人も多数招待される7月14日の革命記念日の式典を控えて、治安の強化に力を入れてきた。その成果があったのか、14日には250台程度の車が焼かれ、100人弱が逮捕された程度の騒ぎで終わった模様。政府はまた一連の暴動で被害を受けた企業への速やかな損害保険金支払いを保険会社に呼びかけるとともに、破壊された公共インフラの復旧への支援措置も発表している。

 ただし、大都市郊外のいわゆる「問題地区」に巨額の補助金を支給して公共インフラを整備しても、受益者である住民の子どもたちがそれを破壊して回るのだから、税金の無駄遣いだとの批判も強まり、一部の自治体では、破壊された施設を当分は再建しないことを明らかにしている。

フランスの暴動、右派の主張に追い風に
@佐藤ヒロキ

右派野党陣営は「暴徒の多数派は移民系の若者」とみなしている

 右派野党陣営からは、暴動は無秩序な移民受け入れが招いた社会分断化の帰結だとの主張が繰り返されている。「郊外の若者たち」は、フランス社会に融和せず、フランス社会を憎み、破壊しようとする特殊な集団だとの見方が、暴動により裏付けられたという印象は強い。フランス社会の秩序や価値観を否定し、安定を蝕み、崩壊の危機に導こうとする集団として、「郊外の若者たち」が「国家の敵」とみなされつつある。

 こうした文脈で、暴動に参加した若者たちが「フランス人かどうか」という点を巡って、内相と右派・極右野党の間では議論がある。内相は逮捕された暴徒の「1割未満が外国人、9割はフランス人」であって、「問題は若者の非行であって、外国人ではない」とし、また移民系と思しい若者もいたことは確かだが、「ケヴィンやマテオなどという名前(マグレブ・アフリカ系ではない、という含意)の若者もたくさんいた」と説明した。これに対して、右派陣営は、内相の説明は実態をごまかしているに過ぎず、国籍上はフランス人でも、必ずしも自らをフランス人とは認識していない移民系の若者が暴徒の多数派だったとみなしている。

フランス社会の分断化と関連があるのか?

 これは些末な議論のようにも見えるが、フランス社会の分断化を考える上で興味深い。フランスは国籍について「生地主義」を採用しているので、都市郊外の移民系の若者の大多数は制度上はフランスで生まれた「フランス人」だが、特に、アラブ系や黒人系の若者は意識の面では自分を正統なフランス人だとは考えていないことが多い。フランスの文化や価値観と必ずしも相容れない世界観を持ち、場合によってはフランス語もあまり理解できない親のもとで育つせいもあるだろうし、また、白人のフランス人から差別的な視線を向けられ続けるせいもあるだろう。フランス国籍を持ちながら、「フランス人」がテーマとなる時に自分をその中に含めて考えることができない郊外の子どもたちの存在が教育団体や人権団体などの調査でクローズアップされている。私自身もパリの北郊で、たまたま電車に乗り合わせた少年たちのグループが、日本のことを褒め称えてくれる一方で、自分の国であるはずの「フランス」や同胞であるはずの「フランス人」をまるで敵であるかのようにフランス語で悪し様に貶すのを目の当たりにしたこともある。

 郊外の多くの若者が学業を途中で放棄し、麻薬販売組織などに取り込まれていく。各地の郊外地区で、こうした組織が支配する一種の無法地帯が出来上がり、警察も容易に介入できなくなっている。最近は、警察官や消防士が待ち伏せによる襲撃を受けることも珍しくなく、また、若者たちから敵視される警察官や教員の自宅の住所や家族の情報が張り紙やネットで公開され、脅迫や攻撃の標的になることも多い。こうした状況で、若者と警察官の間に相互的な嫌悪や憎悪が醸成されるのは、当然の帰結とも言える。警察官への批判として、移民系の若者に対する偏見や人種差別的態度が指摘され、また選挙で極右政党に投票する警察官が過半数を占めるとも言われるが、いわゆる「共和国の失われた領域」(歴史家ジョルジュ・ベンスサンが提唱した用語)での危険で困難な職務を強いられ、しばしば憎悪と攻撃の標的となっている警察官が右傾化するのも理解できなくはない。

問題の根源は民家庭での教育にあるのでは?

 私は問題の根源は移民家庭での教育にあると思う。極右に分類されるジャーナリスト出身のエリック・ゼムール(前回の大統領選挙の候補者で、新党「再征服」を率いる)はマグレブ系移民家庭の出身だが、かつての移民はフランス社会に同化しようと必死で努力し、子どもたちが立派なフランス人になれるように家庭での躾も含めた広義の教育に力を注いだと繰り返し指摘し、自らもフランスの歴史や文化に関する教養の深さを誇りとしている。

 ゼムールが嘆くように、最近のマグレブ・アフリカ系移民にそうした同化への努力や意識が希薄なことは、今回の暴動後に左派系や中道系のメディアが郊外の若者たちの親の談話や証言を紹介するために掲載した一連の記事を読んでも明らかだ。

 マクロン大統領は、暴動に参加した若者たちの親の責任を指摘し、子どもの行動を放任している家庭に対しては児童扶養手当などを削減ないし停止することを示唆しているが、これらの良心的リベラル派メディアは、保護者らが責任を放棄しているわけではなく、可能な範囲で暴動への参加を阻止しようと努力をしていることを示して、親たちの立場を擁護する意図で、こうした記事を掲載した。しかし、報じられた談話や証言から浮かび上がってくるのは、十代に達した子どもたちの行動を律することをすっかり諦めてしまい、子どもたちが夜間に勝手に外をうろつき非行に走ることをとめようとする意志すらほとんどなく、もっぱら子どもが警察に捕まることだけを心配する親たちの姿だ。「子どもが言うことを聞かないのでしかたがない」という教育放棄の態度がこうした地区の保護者の間ではスタンダードになってしまっている。

 こうした親のもとで育った郊外の若者たちが、フランス社会の価値観やモラルや文化を共有することができずに、一般社会と乖離した自律的な共同体を形成して、その内部で独自の掟やルールに従って生きるようになるのは無理もない。

 良心的リベラル派の報道が、期せずして、極右の論客の主張を裏付ける材料を提供してしまっているのはなんとも皮肉だが、こうした親たちと子どもたちのセットが数世代にわたって続けば、社会の荒廃は避けがたい。 私は政治的に特定の立場に与することなく、様々な社会事象をできるだけ中立的かつ冷静に観察したいと思っているが、フランスにおいて近年、右派あるいは極右の言説に対する許容度が高まったことの背景には、それにみあった社会的現実があると考えられるので、今後もそれを色々な角度から見ていきたい。

フランスの暴動、右派の主張に追い風に
@佐藤ヒロキ

佐藤 ヒロキ

フランス在住ライター

『地球号の危機ニュースレター』
No.518(2023年8月号)