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<講演会報告>「終わらない紛争、それでもここで生きていく」

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  10月18日におこなわれた講演会「終わらない紛争、それでもここで生きていく~スーダン・南コルドファン州での紛争被災民支援報告~」の内容を一部抜粋して報告します。

 

南スーダン独立直前、再び紛争が勃発

  スーダンは二年前、スーダンと南スーダンに分かれましたが、二国間の緊張は南スーダン独立後もずっと続いています。私たちJVCが活動している南コルドファン州の紛争は2011年6月、ちょうど南スーダンの独立する直前に勃発しました。紛争の当事者はスーダン政府軍とSPLM-N(Sudan People's Liberation Movement North)という、スーダン人民解放軍 “北部”の二つが戦っています。

  この南コルドファン州は、州の真ん中辺りにヌバ山地と呼ばれる地域があり、ヌバの人たちは独自の言語・文化を持ち、伝統的な信仰を守っている人たちです。ヌバの人たちは、もともとスーダンは自分たちの祖先が住んでいたところだという意識が結構あります。自分たちこそスーダン人で、たまたま移り住んでいまヌバにいるのだと。19世紀以降、アラブ人たちがヌバにも進入してきて奴隷狩りがおこなわれたり、植民地時代を通じて現在に至るまでスーダンの社会の中では劣位に置かれていました。開発や発展からも取り残され、そうした背景から中央の政府に対してヌバの人たちは反感をもっていたわけです。

  1980年代に南部スーダンにおいてSPLAが結成され、反政府の戦いを始めます。これに(ヌバの反政府グループが)合流して南北内戦を一緒に戦っていました。内戦は80年代から2005年まで続いたのですが、(ヌバの人たちは)南部の人間ではなくスーダン人であるということから独立性を保持しながら戦っていました。内戦の結果、南スーダンは独立することになりますが、ヌバは南スーダンと一緒に独立したり、南に行く発想はなく、あくまでもスーダン人として、ここで政治を変えていくという意思を持っているわけです。

  05年に南北の内戦が終わって和平合意が結ばれます。この和平合意の中でスーダンは、南のほうは独立の住民投票をおこなってその結果可決されれば独立するという道筋が決まりましたが、南コルドファン州、ヌバの人たちの将来については、この合意の中では非常にあいまいな記述ではっきり決まっていませんでした。その後、05年から南スーダンが分離独立をする2011年までの6年間は暫定期間としてスーダン政府の与党(バシル大統領の政府与党NCP)とSPLAとの共同統治のような時代が続きました。

  南コルドファンでも共同統治という形で、具体的には政府の職員も大臣も半々ずつ出して統治をおこなっていきました。しかし、南スーダンの分離独立で暫定期間が終わるときに、スーダン政府側は、ヌバの南コルドファン州にいるSPLA(今のSPLA-N)について、もう暫定期間は終わったのだから武装解除しなさい、そうでなければ南スーダンへ行きなさいと言ったわけです。しかし、ヌバの人たちは、南スーダンに行くことはもちろん武装解除も拒否して戦闘が始まったというのがこの紛争の背景です。

 
<講演会報告>『ショック・ドクトリン』上映会+トークライブ

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  10月5日におこなわれた映画『ショック・ドクトリン』の上映後におこなわれた中山智香子さんと内田聖子さんのトークライブの内容を一部抜粋して報告します。

 

新自由主義な政策は民主主義とは合わない

内田: 映画ではかなり急テンポで世界のいろんな出来事が進んでいきます。押さえておくべきポイントをいくつかかいつまんでご紹介いただきたいのですが。

 

中山: 映画の中で比較的多くチリの話が出るのですがそれが第一のポイントです。新自由主義と言うと普通、1980年代に出てくる英米圏のサッチャーやレーガン、日本で言うとその時期は中曽根ですが、それらに先立ってすでに70年代にチリで始まったのです。

  1973年9月11日、ピノチェト将軍がクーデタを起こしました。クーデタの後にスタジアムに人を収容したり、虐殺を行ったり、拉致を行ったり、反対者、批判者たちを非人道的に弾圧しながら、市場開放の経済政策を進めました。これまで、この二つは別の物事として理解されていた。確かにピノチェトはとんでもないが、経済政策としては「チリの奇蹟」であると。新自由主義的な政策によりいろんな国がチリの産物、農産物などを貿易で買えるようになった、チリには外国資本が自由に参入するようになった。このこと自体はいいことなのだと理解されてきた。

  ところがナオミ・クラインは、実はそうじゃないと(指摘した)。ピノチェトがやっていた非常に強圧的な政治、軍事と新自由主義の経済政策は実は一体なのだと。なぜかと言うと、その政策をやると、多くの人が苦しむ結果になる。グローバル世界に向けて開かれた国内をいざ見てみると、多くの人が貧困にあえぎ、インフレが止まらない、失業が増える。

  そこでこの政策に反対する人たちが非常に多く出てくるので、政権の側は民主主義的にやっていくことができなくなってくる。むしろ全体主義か独裁政権に近いような形で強圧的に政策を進めていかないと成り立たない。結局、新自由主義的な政策と民主主義とは合わないというところが一つのポイントであると思います。

 
<講演会報告>「TPPで私たちの暮らしはどうなるか/遺伝子組み換え食品編」

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  7月20日におこなわれた船瀬俊介さんの講演内容の一部を抜粋して報告します。

 

世界の富を分割支配する帝国主義

  中世から近代への転換が人類の大転換期と言われています。中世とは、個人の人権が否定された王権と教権が支配した時代です。物は王侯貴族が支配し、心はキリスト教会が支配する。暗黒の中世と言われる。だからそこに個人と言う実在はなかった時代です。

   しかし、ここからモダニズムが出てくる。民主主義(人権)、科学主義(産業)、合理主義(学問)という、新しい客観的な知性に基づいて個人が解放される時代がきたということで、当時の知識人は暗黒の中世に対して希望の近代、モダニズムに憧れ、歓迎しました。ところがこれら三つの仮面の下にはオオカミの顔が隠されていました。オオカミの顔とは帝国主義です。モダニズムの正体は帝国主義だったわけです。帝国主義というと格好悪いのでモダニズムと言ったのです。

  レーニンによれば帝国主義とは、巨大資本が列強として、海外の弱小民族と土地を分割支配し、そして独占資本は世界の富を分割支配してゆくことであり、実際にレーニンが指摘した通りに近代は進んできました。典型的なのはアフリカ会議です。ヨーロッパ列強がアフリカを暗黒大陸だと呼び、暗黒大陸に光を、などと言いながらアフリカ大陸をステーキで切り分けるように各国で切り分けたのです。言わばバーベキューパーティーです。アフリカの国境が直線なのはナイフで切り分けた跡です。

 

TPPのルーツ

  イギリスとナポレオンがワーテルローの天下分け目の決戦を戦った際に、当時の財閥の一つであるロスチャイルドは情報操作によって他の財閥を出し抜いて株を売買し、一気にヨーロッパ中の富を手中に収めました。本当はイギリスが勝利していた戦いをイギリスが負けたとウソの情報を流して自らの株を手放し、これに追従した他の財閥が株を投げ売りして底値をついたところでごっそりと株を買ったのです。巨万の富を得たロスチャイルドは世界の支配に乗り出したわけです。

 
<講演会報告>「子どもたちとコミュニティを変えていこう!」

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  5月11日に国際子ども権利センター(シーライツ)と共催でおこなわれた上田美紀さんの講演内容の一部を抜粋して報告します。

 

物乞いさせるための子どもたち

  現在、シーライツはカンボジア王国のスバイリエン州で人身取引や子どもの出稼ぎを防止するプロジェクトを実施しています。日本で言えば市の中にある区にあたるコミューンという行政単位の中での活動です。活動の場であるタナオコミューンは11の村で構成されていますが、その中の一つであるクバルタナル村では、子どもがベトナムへ出稼ぎに出される数が他の地域に比べて異常に多い状態です。

  私はカンボジア人を家族と思いながらこれまで活動を続けてきましたが、この地で出会ったお母さんたちの子どもに対する愛情の無さには言葉が出ません。以前は物乞いをしていたという家庭にインタビューしましたが、その例では、子どもが8人もいてずっと物乞いをし続けていました。子どもが大きくなると物乞いはできなくなります。15歳ぐらいになると体も大きいので物乞いはうまくいきません。そうするとお母さんは次の策として次の子どもを産む。あるいはその15歳の子どもが子どもを産む。悲しいかなそれが現実で、そういう悪循環に入るのです。かつて私は人身売買被害者の支援活動に関わって、千人ぐらいの女性たちをフォローしましたが、そのなかでも親が積極的に子どもを売りましたというのはそんなにたくさんいませんでした。この地での子どもの扱われ方を見ると、もしかしたらこの子の命は出稼ぎで物乞いをさせられるために生まれたのだろうかと思うほどです。

  子どもがいとも簡単に隣国ベトナムへ物乞いに出ることができるのは、タナオが非常にベトナムに近いからです。国境はありますが誰かが監視しているわけではありませんから渡り放題です。もちろんパスポートなどいりません。国境といっても要するに隣の家なのです。隣の家に出向いて何が悪いという感覚です。もちろん、子どもがひとりで出かけるのではなく、連れてゆく人がいて、そのことで利益を得ている人がいます。

 
<講演会報告>「平和を作り出すために、つなぐためのリーダーシップの実践」

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  3月10日におこなわれたミリアム・L・スアシトさん(通称デデットさん)とモモイ・A・コホンボさん(通称モモイさん)の講演内容の一部を抜粋して報告します。

 

<デデットさん>

忘れられた島、ミンダナオ、バシラン

  フィリピンではミンダナオは約束された島と言われますが、同時に忘れられた島とも言われています。マニラの人々にとってミンダナオの紛争は地域紛争であると考えられていますが、私から見ればこれは非常に不正義なことです。ミンダナオという土地は天然資源が非常に豊かな地域で、ほとんどの鉱山が集中しています。たくさんの天然鉱物が生産されますが、そこから生じる税金や収益がマニラを潤わせています。まるでマニラにレイプされているかのような状態です。

  歴史的にはマレーシアやインドネシアから貿易のためにイスラム商人が来て、フィリピン女性と結婚してイスラム教が広がりました。その後スペインが植民地支配の方法としてキリスト教を使ったため、キリスト教が広がっていきました。スペインもかつてはイスラムによって植民地化されたことがあり、そのトラウマからイスラムに対して深い憎しみがあり、そういう偏見を持ち込みました。さらにアメリカの植民地であったときに、モロの人たちには7ha、外から来たクリスチャンの入植者たちにはそれ以上の土地を配分するという命令が下され、それが現在まで土地の問題として紛争の火種になっています。このような不公正で不正義なことが原因で、モロの人たちが自治や独立を求めて闘いを始める原因になりました。

 
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