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<講演会報告>「終わらない紛争、それでもここで生きていく」

最終更新日 2013年 12月 02日 14345 views

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  10月18日におこなわれた講演会「終わらない紛争、それでもここで生きていく~スーダン・南コルドファン州での紛争被災民支援報告~」の内容を一部抜粋して報告します。

 

南スーダン独立直前、再び紛争が勃発

  スーダンは二年前、スーダンと南スーダンに分かれましたが、二国間の緊張は南スーダン独立後もずっと続いています。私たちJVCが活動している南コルドファン州の紛争は2011年6月、ちょうど南スーダンの独立する直前に勃発しました。紛争の当事者はスーダン政府軍とSPLM-N(Sudan People's Liberation Movement North)という、スーダン人民解放軍 “北部”の二つが戦っています。

  この南コルドファン州は、州の真ん中辺りにヌバ山地と呼ばれる地域があり、ヌバの人たちは独自の言語・文化を持ち、伝統的な信仰を守っている人たちです。ヌバの人たちは、もともとスーダンは自分たちの祖先が住んでいたところだという意識が結構あります。自分たちこそスーダン人で、たまたま移り住んでいまヌバにいるのだと。19世紀以降、アラブ人たちがヌバにも進入してきて奴隷狩りがおこなわれたり、植民地時代を通じて現在に至るまでスーダンの社会の中では劣位に置かれていました。開発や発展からも取り残され、そうした背景から中央の政府に対してヌバの人たちは反感をもっていたわけです。

  1980年代に南部スーダンにおいてSPLAが結成され、反政府の戦いを始めます。これに(ヌバの反政府グループが)合流して南北内戦を一緒に戦っていました。内戦は80年代から2005年まで続いたのですが、(ヌバの人たちは)南部の人間ではなくスーダン人であるということから独立性を保持しながら戦っていました。内戦の結果、南スーダンは独立することになりますが、ヌバは南スーダンと一緒に独立したり、南に行く発想はなく、あくまでもスーダン人として、ここで政治を変えていくという意思を持っているわけです。

  05年に南北の内戦が終わって和平合意が結ばれます。この和平合意の中でスーダンは、南のほうは独立の住民投票をおこなってその結果可決されれば独立するという道筋が決まりましたが、南コルドファン州、ヌバの人たちの将来については、この合意の中では非常にあいまいな記述ではっきり決まっていませんでした。その後、05年から南スーダンが分離独立をする2011年までの6年間は暫定期間としてスーダン政府の与党(バシル大統領の政府与党NCP)とSPLAとの共同統治のような時代が続きました。

  南コルドファンでも共同統治という形で、具体的には政府の職員も大臣も半々ずつ出して統治をおこなっていきました。しかし、南スーダンの分離独立で暫定期間が終わるときに、スーダン政府側は、ヌバの南コルドファン州にいるSPLA(今のSPLA-N)について、もう暫定期間は終わったのだから武装解除しなさい、そうでなければ南スーダンへ行きなさいと言ったわけです。しかし、ヌバの人たちは、南スーダンに行くことはもちろん武装解除も拒否して戦闘が始まったというのがこの紛争の背景です。

 

NGOの人道支援に規制がかかる

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  紛争が始まってから州内各地で戦闘それから空爆が行われました。空爆は、政府軍側が、反政府軍の拠点としている農村部、丘陵地帯を空爆していったわけですが、州内は政府掌握地域と反政府軍の実効支配地域の二つに分かれてしまいます。同じ村でも政府側の地区に逃げた人と、反政府側あるいは南スーダン側に逃れた人がいたりします。一つの家族ですら政府側と反政府側、南スーダン側に別れ別れになってしまっているという例も少なくありません。

  私たちは2010年に州都のカドグリという街に事務所を設立し、翌11年1月から村落部で地域開発事業を始めました。この村落部はいま反政府軍の制圧地域になっているところです。ですから今は行けないのですが、活動を始めて半年も経つか経たないかのうちに紛争が起こって、カドグリでも市街戦になりました。事務所は略奪を受け閉鎖をせざるを得ない状態になりました。

  この紛争が勃発したあと、避難民がたくさん出ていますから、すぐに人道支援団体としては支援活動を始めたいのですが、国連も私たちのようなNGOも非常に多くの困難に直面しました。

  一つの困難は、戦闘や略奪の直接の影響で、事務所や車両などが全て略奪されたり破壊されたりして、多くの団体が州都(カドグリ)に拠点を持っていましたが、どこも拠点を失ってしまいました。

  二つ目は、政府掌握地域内での活動の規制で、これは紛争のあと非常に規制が強くなりました。国際NGOが直接に実施する活動への規制ということで、つまり、NGOの職員が村に行って、その住民に直接話をしたり、あるいは支援物資を(直接)渡してはならないといった規制です。ただし部分的には直接の活動を認められており、JVCは直接活動していたが、多くの団体は規制がかかりました。それからニーズ調査への規制がかかりました。支援活動をするにはニーズ調査がどうしても必要です。避難民の方が何人出ていて、避難民の方がどういう状況にあるのか、つまりお腹が減っているのか、食べ物はあるが住むところがないのか、毛布がないなど、状況を調べなければ支援はできないわけですが、調査をしてはいけないと言われたわけです。国際NGOが直接人々とコンタクトをとることを妨げるような規制がかかりました。

  三つ目は、いまは反政府掌握地域の話です。SPLA-Nが実効支配する地域については国連も国際NGOも中には一切誰も入れない状態です。SPLA-N実効支配地域の中こそ食糧が不足していたり、もっとも人道状況が悪いと推測されているわけですが、状況調査することもできない状態が続いています。

 

JVCによる生計向上活動支援

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  2011年12月、紛争が始まって半年後に、元々JVCと関係があったカドグリの市民二人をスタッフに登用して事務所を再開し、食糧支援を始めました。カドグリ周辺には4万人ぐらいの避難民が来ていますが、スーダン政府の方針で避難民キャンプは設置されていません。スーダン政府はダルフール紛争の時に避難民キャンプを設置して、相当多くの(150万人規模の)人が避難民キャンプに来たままそこから元の村に帰れずにそこで支援に頼って生活をするようになってしまっています。もう一つは、スーダン政府によれば、避難民キャンプが反政府勢力の拠点になっていると言っています。そういう理由で南コルドファンでは避難民キャンプを設置しない方針で、人々は地縁血縁を頼って、親戚や同じ村出身の縁故者の家に転がり込む、あるいはその軒先を借りて仮設の小屋を作って生活している人が多いのです。

  JVCの支援活動は避難民への緊急生活物資の配布で、去年12月から今年9月にかけておこなっています。紛争が始まってからもう一年以上経っていますが、2013年4月ぐらいに戦闘が急に激しくなった地域があり、新しく避難してきた避難民に対して物資の配布をおこないました。

  生計向上活動支援ということで、自立を支援するため農具や種を配ったり、農業研修をしました。避難民の方と地域住民の方が自分たちで耕して食糧を生産してもらいます。雨季の耕作支援と乾季の小規模灌漑による野菜づくり支援と二つあります。南コルドファン州の辺りは年間降雨量が500ミリぐらい。雨が降るのが5月から10月ぐらいまで年の約半分、残り半年間は全く雨が降らない地域です。ですから雨季にはまとまった雨が降るので雨水で農業ができるところです。乾季になると全く雨がありませんから、その時に野菜を作るためには小規模な灌漑をしなければいけません。対象は避難民と地域住民を併せて4000世帯、2万人ぐらいを対象に今までおこなってきています。

  ソルガムという穀物がこの地域では主食作物です。日本語で言うとコウリャンあるいはモロコシと言われるものですね。ソルガムが主食で、おかずとしてはオクラが一番ポピュラーです。オクラの煮込みのようなものを作ります。これは落花生の種を配っているところ。トウモロコシは非常に生育が早いです。(種は)こういったものを配っています。

  また、避難民向け住居の支援ということで、今年8月から現在これを中心に活動しています。国連と州政府が協力をして建設しています。カドグリの周辺に二か所あり、合計すると350戸、一棟一棟を避難民の一家族ごとに提供されて既に入居が進んでいます。ここに入居した人に対して、耕作支援や給水支援として給水塔付きの井戸を建設する支援をいま中心におこなっています。

  給水塔付きの井戸は、発電機で電気を起こしてポンプで井戸から塔に水をくみ上げて給水タンクから蛇口に水が出てくる仕組みです。ですからこの発電機を動かすための燃料やスペアパーツが必要で、お金がかかります。村人から少しずつお金を集めたり、その管理をここの住民の方たちが是非自分たちでやりたいということで、「ウォーター・ コミッティー(井戸管理委員会)」が選ばれ、その人たちがミーティングをおこなっています。JVCのスタッフも一緒にミーティングに参加し、どのようにお金を集め、いくらぐらいお金がかかるか、そういった話をしています。

 

戦争でも平和でもない状態

  どうして二年経っても紛争が終わらないのか、私は紛争分析の専門家ではないのできちんとした説明はできませんが、政治的な要因はもちろん大きいです。和平を阻む様々な要因として、スーダンはときどき独裁国家とか言われたりしていますが、しかしスーダンの人に聞くと独裁と言うほど強い権限を持っているというよりは、政府の中に大統領やその周りにいろんなグループがあって、ある時には対立し、ある時には徒党を組みながらやっている。南スーダンが独立したあと石油の75%は南スーダンにいってしまったので、石油収入が減って非常に経済的に政府の財政が厳しい状況です。そんな時に軍隊や戦争にお金を使っていたらますます厳しくなる。

  現実的に考えればやはり早く紛争は止めて、きちんと使うべきところにお金を使ったほうがいいわけです。恐らく現実的な考えを持っている人もいると思うのですが、しかし、戦争を続けたい人もいる。ですからなかなか政権の内部で意見が一致しない。変な言い方ですが、もし独裁国家ならば独裁者がもう戦争を止めると言えば止められるのかもしれません。(中略)

  カドグリではもう二年以上続いているので、ある意味紛争の中で生活していくことが当たり前になってきています。私たち外国人からすると戦闘状態は非常に危険な状態で、もし私がカドグリに行くのであれば十分に安全対策を講じなければいけないのですが、地元の人はそこで生活しているわけです。

  彼らは、ここで生活せずに一体どこに行けばいいのか。避難できる財力があればとっくに避難しています。例えば別の州に行っても生活できるだけの基盤があればいいのですが、でも自分たちはもうここにいるしかない、どこにも行けない。だからみなさん日常生活を淡々と続けている現実があります。紛争というと非常に異常な状態で、その中は危機的な状態であって、だからこそ支援をしなくてはいけないわけですが、ただ、そこで住んでいる人にとっては、自分たちの当り前の生活があり、自分たちで何とか生活の糧を得ていこうと皆さん話しています。そういう意味では、感覚的に思うのは、紛争地だから何でもかんでも支援団体がしてあげなければいけないということではなくて、生活をしている中で最低限必要なサポートをする。例えば種を配布するにしても、一年間は種を配りますが翌年は配りません。最初に種を配れば収穫がありますから、その収穫のうち一部を保存して次の年の種にすることもできます。同じ支援をするのではなく、なるべく人々が自活していく力を大切にすることを心掛けています。と言うよりも、実際に皆さんそれだけの生活力があると言うことですね。

   元々は同じ村で一緒だった人たちが紛争でバラバラになっているわけです。意識的にもある意味で離れていっているのかもしれません。今のところ停戦になる見込みはありませんが、平和が訪れて分断された家族や社会がもう一度戻っていくようお互いに和解していく日を見据えて、そういう時には是非このJVCが生活再建や和解のお手伝いをしたいと私自身は非常に強く思っています。(まとめ・花岡英治)

 

講 演:終わらない紛争、それでもここで生きていく
              ~スーダン・南コルドファン州での紛争被災民支援報告 
講 師: 今井高樹さん(日本国際ボランティアセンター・スーダン現地代表)
開催日: 2013年10月18日(金) 
会 場: 大竹財団会議室
共 催: 日本国際ボランティアセンター(JVC)

 

 

 

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カテゴリ: 講演会報告